古井戸の底
もしその鉄の戸が、地上へのたった一つの出入口だとすれば、魔人が外へ出る時には、戸がひらかれるはずです。ひょっとしたら、小林君たちが夜ねているあいだに、魔人はいくども、そこから出たりはいったりしていたのかも知れません。
「そうだ、今夜は、ねないで、コッソリあの戸を見はっていてやろう。そして、もし魔人が戸をあけたら、そのあとについて出ればいい。」
小林君は昌一君ともうちあわせたうえ、その晩はよっぴて、見はりをすることにしました。それが、地底につれられて来てから、ちょうど一週間めのことでした。
小魔人の姿の小林君が、石のトンネルのまがり角の、まっ暗なくぼみに身をかくして、しんぼうづよく見はっていますと、真夜中ごろ、あんのじょう、青銅の魔人が、あの機械のような歩きかたで、小林君の前を通りすぎました。
ソッとついて行きますと、魔人は例の鉄の戸を鍵でひらいて、そのまま外のやみの中へ。そして、鉄の戸はまたピッタリとしまってしまいました。小林君はすばやく魔人のあとからぬけだすつもりでいたのですが、とてもそんなひまはありません。しかたがないので、しまった戸の前に行って、未練らしく力いっぱいそれをおしてみました。
すると、これはどうでしょう。鉄の戸がスーッとむこうへひらいたではありませんか。魔人は鍵をかけるのを忘れて行ったのでしょうか。それとも、もしかしたら、小林君がつけてくるのをちゃんと知っていて、わざと鍵をかけなかったのではないでしょうか。
しかし、小林君はそんなことを考えるゆとりなどありません。うれしさのあまり、昌一君と、雪子ちゃんのねている部屋へとんでいって、ふたりをおこし、手を引きあって、もとの戸口へもどりました。
三人は胸をドキドキさせながら、入口のむこうがわに出ると、鉄の戸をしめましたが、そこは真のやみで、どんな場所だかすこしもわかりません。もし魔人がまだそのへんにいたら、たいへんですから、しばらく、じっと耳をすましていましたが、怪物はもう遠くへ行ったとみえ、何の物音もきこえません。
そこで小林君は、こんな時の用意にと、炊事場からマッチを持って来ていたので、それをシュッとすって、あたりを見まわしました。
おどろいたことには、一メートルばかりさきに、大きな深い穴があるのです。
マッチをすらなかったら、三人はその穴の中へころがりおちていたかもしれません。穴のふちに近づいて見ると、石のだんだんがついています。底は二、三メートルの深さです。広さはたたみ半畳ぐらいで、コンクリートでかためた、まっ四角な箱のような穴です。
またマッチをすって、よく見ますと、その箱のようになった、むこうがわのかべにやっと人間ひとり通りぬけられるほどの、黒い穴があいていることが、わかりました。そのせまい穴が、地上への出口なのでしょう。ほかには、どこにも行くところがありません。
それにしても、へんな出入口です。地上へ出るのに、なぜ、こんな穴の中へおりなければならないのでしょう。それがあんなおそろしいしかけとは、すこしも知らないのですから、小林君はふしぎに思いました。しかし、そのほかに進む道がないとすれば、ふしぎでもなんでも、穴の中へおりるほかはありません。
三人は手を引きあうようにして、泣きだしそうになっている雪子ちゃんを、いたわりながら、マッチの光で見おぼえておいた、石のだんだんをおりて行きました。
穴の底につくと、またマッチをすりましたが、見ればそのコンクリートの穴の底には、水がいちめんにたまっていて、歩くとピチャピチャと音がします。それに、コンクリートのかべも、シットリと水にぬれたような色をしています。地の底のことですから、どこからともなく、水がしたたっているのでしょう。
三人は、べつにふしんもいだかず、むこうがわのかべの、人間がひとりやっと通れるほどの穴を、くぐりぬけて、外へ出ました。そして、そこで、またマッチをすって見ますと、外へ出たと思ったのに、そこも同じようなせまい穴であることがわかりました。
それは、さしわたし一メートル半ぐらいの丸い穴で、マッチの光では見とどけられないほど、ズッと上のほうまで、筒のようになっているのです。そして、ここはコンクリートではなく、大きな石をつみかさねた石のかべでした。なんだか古い井戸の底のような場所です。
「アァ、わかった。この石かべをのぼって行けば、地面に出られるんだな。」
小林君はそこへ気がつきましたが、まっすぐな石かべにはだんだんも何もついていないので、とてもよじのぼることはできません。小林君はどうしていいのか、わからなくなってしまいました。昌一君とそうだんしようにも、まっ暗な中では、字を書いて見せるわけにも行きません。しかたがないから、もとの地下室へ引きかえそうかと思いましたが、せっかくここまで来て引きかえすのもざんねんです。
ところが、その時、おそろしい物音がきこえて来ました。ドドドヽヽヽヽヽと、なにか滝でもおちているような音です。
小林君はもっと早く、思いきって引きかえせばよかったのです。しかし、もうまにあいません。
アッと思うまに、今くぐりぬけて来た穴から、川のつつみを切ったように、ドッと水が流れこんで来たのです。いや、流れるなんてなまやさしいものではありません。穴いっぱいの水のかたまりが、バッとぶっつかって来たのです。
その水のかたまりに足をさらわれて、三人は一度に尻もちをついてしまいました。おたがいに助けあって、やっとのことで立ちあがった時には、水はもう三人の腰のあたりの深さになっていました。
逃げだす道は、さっきくぐって来た穴のほかにありません。ところが、その穴からは滝のように水がふきだしているのです。近づけば、たちまちはねかえされてしまいます。
それでも、小林君は勇気をふるって、雪子ちゃんをだいて、穴のほうへつき進んで行きましたが、だめです。水のいきおいのために、大きな槌でガンとたたきつけられたように、水の中へもぐってしまいました。
やっと立ちあがって、はかってみると、水はもう胸のへんまで来ています。そして、グングン上のほうへあがってくるのです。
またたくまに、首のところまで来ました。それから、あごへ……。
せいのひくい雪子ちゃんは、ほうっておけば死んでしまうので、小林君がだきあげていました。しかし、その小林君も、もういきができなくなって来たのです。昌一君はくるしまぎれに、小林君にしがみついて来ます。雪子ちゃんをだいたうえに、昌一君にしがみつかれては、どうすることもできません。
小林君は、いよいよ死ぬんだなと思いました。そして、すっかりあきらめて、からだの力をぬいて、目をとじてしまいました。