名探偵の魔法
明智探偵は、どうして手に入れたのか、正面の鉄のとびらの鍵を持っていました。ポケットからそれを取りだして、カチカチとやると、大とびらはギーッとひらきました。
そのむこうの闇の中に、青銅の魔人がヌーッと立っているのではないかと、中村警部はゆだんなくピストルをかまえましたが、そこには、うす暗いトンネルが、ズーッと奥ふかくつづいているばかりで、人の影もありません。
明智は懐中電灯をふりてらしながら、少しもおそれないで、そのトンネルの奥へ進んで行きます。警部と刑事は注意ぶかくあたりに目をくばりながらそのあとにつづきました。
明智はまるで自分の家の中でも歩いているように、まがり角に来ても、少しもためらわないで、ドンドン進んで行きます。そして、うす暗い石のトンネルを、グルグル回って行きついた所は、読者諸君はもうごぞんじの小林少年たちが道化師につれられて、青銅の魔人に対面した、あの黒ビロウドの幕をはりめぐらした部屋でした。
三人がその部屋へはいるとすぐに、奥のビロウドの幕のすその所に、ひとりの人間がたおれているのに気づきました。
「アッ、手塚さんだッ。」
中村警部は思わず口ばしりました。
たんぜんのねまき姿の手塚さんが、手と足をしばられて、気をうしなったように、そこにたおれていたのです。
三人はいきなりそのそばへかけよって、縄をとき、介抱しましたが、手塚さんはグッタリとなって、物をいう力もありません。ただ右手をわずかにあげて、むこうの黒ビロウドの幕をゆびさすばかりです。
そこには、ひだの多いたれ幕が二重にかさなって、何かしらあやしい物をかくしているように見えます。ふと気がつくと、アア、あの音です。ギリギリ、ギリギリ、ぶきみな歯車の音が、どこからともなくきこえて来ます。三人は思わずハッと身がまえました。手塚さんの指は、ビロウド幕の合わせ目のへんを、じっとさし示しています。その顔はおそれのために真青です。
気のせいか、ひだの多い幕が、かすかに動いているように見えます。天井からさがっているランプがゆれたのでしょうか。それとも、幕のうしろにいる魔人が、今にもとびだそうと、身うごきしているのでしょうか。
中村警部はピストルの手をあげて、いきなりぶっぱなしそうな身がまえをしました。
「アッ、まちたまえ、むやみにうってはいけない。そのピストルは、ぼくがあずかっておこう。」
明智はなぜか、警部のピストルを取りあげてしまいました。刑事はピストルを持っていなかったので、ただ一ちょうの武器が明智の手にわたったわけです。
明智はそれから、部屋の入口へ行って、ドアーをピッタリしめて、刑事をさしまねきました。
「きみはこのドアーの前に立っていてください。ぼくがよろしいというまでは、どんなことがあっても、ここをひらいてはいけない。わかりましたか。たとえ中村君でも、手塚さんでも、それから、ぼく自身でも、ここから一歩も外へだしてはいけないのです。わかりましたか。」
明智のふしぎな注文に、刑事は目をパチパチさせていましたが、魔人の巣窟を発見した名探偵のいいつけです。わけはわからなくても、したがうほかはありません。刑事はしめきったドアーの前に立って、ネズミ一匹も通すまいと、がんばるのでした。
「中村君、いよいよ青銅の魔人と対面だよ。」
明智はそういって、ツカツカとビロウドのたれ幕の合わせ目に近づいて行きました。中村警部はその時、チラッと自分のほうを見た明智のへんな目つきに、気づかないではいられませんでした。
警部は「オヤッ」と思いました。あれはたしかに、いたずら小僧が、何かわるさをする時の目つきです。笑いたいのをじっとこらえているような目つきです。この真剣な時に、明智探偵はなぜ、そんなへんな目つきをしたのでしょう。警部にはどうしても、そのわけがわかりません。
その時、明智は幕の合わせ目をひらいてサッとその中へふみこんで行きました。アア、なんというむちゃなことをするのでしょう。幕のむこうがわには、青銅の魔人がいるにきまっています。そこへ明智がただひとりでとびこんで行ったのです。
警部はじっと幕をにらんで、両手をにぎりしめました。今にも格闘がはじまって、幕が波のようにゆれるのではないかと、目もはなさず、ようすをうかがっていました。
しかし、べつにとっくみあいがはじまるでもなく、しばらくすると、幕の合わせ目のところが、ズーッとこちらにふくらんで来て、それから合わせ目が左右に少しずつ、少しずつひらいて行き、そこから、何か青黒いものがあらわれて来ました。
そして、幕がひらききってしまうと、そこに、ヌーッと、銅像のようなやつが、あのおそるべき青銅の魔人が、姿をあらわしたのです。
警部はこぶしをにぎりしめて、思わずタジタジと、あとじさりをしました。
魔人は、あの三日月型の唇で、ニヤニヤ笑いながら、それを追うように、こちらへ進んできます。だれかにうしろから、おされているような、へんな歩きかたで、ジリジリと幕の外へ出てくるのです。
明智探偵はどうしたのでしょう。とっさのまに、魔人のためにやられてしまったのではないでしょうか。そして、幕のうしろに、たおれているのではないでしょうか。
もしそうだとすれば、一刻も猶予はできません。中村警部は死にものぐるいの決心で、魔人にむかってとびかかって行こうとしました。そして、一歩前にふみだした時……。
みなさん、安心してください。名探偵明智小五郎は、けっしてそんなボンクラではありません。かれはその時、魔人のうしろから、ヒョイととびだして来たのです。しかもニコニコ笑いながら、とびだして来たのです。
「中村君、おどろくことはない。こいつは今ぼくが退治して見せるよ。サァ、よく見ていたまえ。ぼくの魔術がはじまるのだ。青銅の魔人が魔術師なら、この明智だって、それにおとらぬ魔術師だということを、今、きみに見てもらうのだ。」
いうかと思うと、明智は青銅の魔人のうしろにまわって、そこにしゃがんで、何かカチッと音をさせました。
すると、アア、これはどうしたというのでしょう。魔人はユラユラとゆれたかと思うと、あのいかめしい青銅のからだが、たちまちグッタリと力をうしない、首を前にたれ、いかった肩がスーッとしぼんで行き、まるであめ細工のようにグニャグニャになって、見るみる形がくずれ、アッと思うまにとけてしまったのです。雪だるまがとけるように、くずれてしまったのです。そして、今まで魔人の立ちはだかっていた足もとに、一かたまりの青黒いものが、まるで着物でもまるめたように平べったく横たわっていました。
「中村君、魔人が、しめきった部屋の中から、消えうせる魔法は、これだよ。これがあいつの魔術の種さ。」
明智はそういって、一かたまりのグニャグニャしたものを足でふんづけて見せました。すると、その青黒いくらげのようなかたまりは、ふしぎな生きもののように、ブルブルッと身をふるわせるのでした。