寝室の魔術
小林君、昌一君、雪子ちゃんの三人は、どうなるのでしょう。このまま水におぼれてしまうのでしょうか。それにしても、あのおそろしい水はどこからわいて来たのでしょう。魔人は三人の子供のいのちをとるために、あんなしかけをしておいたのでしょうか。どうもそうではなさそうです。これには何かわけがあるのです。
地の底でこんなさわぎのあった、ちょうどそのころ、地上にまた、おそろしい事件がおこっていました。
港区にある手塚さんのおうちは、昌一君と雪子ちゃんが、行くえ不明になって、もう一週間も帰ってこないので、大へんなさわぎでした。そのうえ、青銅の魔人は、ふたりの子供をさらって行っただけでは、まだたりないのか、そののちも、時々手塚家に姿をあらわすので、警察ではたえず手塚家のまわりに、見はりの刑事をおくことにしました。
ちょうど昌一君たちが水におぼれていたころです。夜中の十二時、ひとりの刑事が手塚家の庭に、寝ずの番をしていました。刑事がしゃがんでいる、木のしげみの間から、手塚さんの寝室の窓が見えます。黄色いカーテンがひいてあって、それに寝台のまくらもとの電灯の光があたっているので、やみの中に窓だけが、映画のスクリーンのように、うきだしているのです。
刑事は、なにげなくその窓を見ていましたが、カーテンにへんな影がうつっているのに気づいて、ハッと立ちあがりました。
それは人の姿でした。しかし、手塚さんの影ではありません。なんだかぎごちない動きかたをする、西洋のよろいを着たような影でした。
「もしや!」と思った刑事は、足音をしのばして、窓に近よりました。
アア、やっぱりそうでした。あいつがいたのです。手塚さんのベッドのすそのほうに、あのおそろしい青銅の魔人がヌーッと立ちはだかって、今にも手塚さんに、つかみかかろうとしていたではありませんか。
その時、よく寝入っていた手塚さんが、目をさましました。そして、怪物の姿に気がつくと、ガバッとベッドの上に半身をおこしました。
おそろしいにらみあいでした。魔人は二つの黒いほら穴のような目の中から、じっと手塚さんをにらみつけています。
手塚さんは、まるでヘビにみいられたカエルのように、怪物の目を見つめたまま、身動きもできないのです。
そのうちに、手塚さんの顔が、今にも泣きだしそうにゆがんで来ました。そして、やっとの思いで、その口からさけび声がほとばしりました。ゾーッとするような、なんともいえぬものすごいさけび声でした。
刑事はそれを聞くと、パッと窓のそばをはなれて、矢のように裏口へとんで行き、そこから廊下づたいに、手塚さんの寝室の入口へかけつけました。鉄格子があるので窓からは、はいれなかったのです。寝室のドアーはピッタリとしまっていました。とってをまわしても、ドアーはひらきません。手塚さんは用心のために、いつもドアーに中から鍵をかけて眠るのです。刑事はピリリリリとよびこを吹きならしました。
バタバタ廊下に足音がして、もうひとりの刑事や書生などがかけつけて来ました。
ふたりの刑事は力をあわせてドアーにぶっつかりました。メリメリと音をたててわれる板、その穴を、足でけやぶって広くし、そこからのぞいて見ますと、もう青銅の魔人の姿はなくて、手塚さんがベッドの上にグッタリとなっています。気を失っているのか、それとも、もしや……。
刑事たちはドアーの破れをもぐって、部屋の中へ飛びこんで行きました。カーテンのうしろ、ベッドの下、洋服だんすの中、どこをさがしても、青銅の魔人は、影も形もありません。たった一つのドアーには鍵がかかっていました。窓には全部鉄格子がついています。ぬけだすすきまはどこにもありません。
アア、またしても魔術です。怪物は煙のように消えてしまったのです。
手塚さんはさいわいにも、どこもけがはしていません。刑事にだきおこされて正気づくと、「明智さんを、早く……。」といったまま、またグッタリとなってしまいました。
刑事は中村捜査係長の自宅と、明智探偵の宅へ電話をかけました。すると、係長のほうは「すぐゆく。」という返事でしたが、明智探偵のほうは、「一昨夜事務所を出たまま、まだお帰りがないので心配している。」という答えです。
名探偵はいったいどこへ行ったのでしょう。アア、もしかしたら、魔人の計略にかかって、地の底のすみかへつれさられたのではないでしょうか。
刑事たちは、ベッドの上にグッタリとなっている手塚さんを、助けおこして、ブドウ酒などをのませて、元気づけました。すると、手塚さんは、やっと口がきけるようになり、さもおそろしそうに、とぎれとぎれに、こんなことをいうのでした。
「あいつは、私の手をとって、どこかへつれて行こうとしました。ギリギリ歯車の音をさせるだけで、ものをいわないから、わけがわからぬけれども、サァ、おれといっしょにこい。こんどはきさまを盗みだすのだ、といっているように思われたのです。私はいっしょうけんめいに、抵抗しました。魔物にだきしめられ、今にもどこかへつれて行かれそうになったのを、やっとのことでふみこたえていました。そこへ、あなたがたがドアーを破る音がきこえて来たものですから、魔人はビックリして私をはなし、消えるように逃げさってしまったのです。」
「あいつは、どこから逃げました。どこにもぬけだす個所はなかったと思いますが。」
刑事がたずねますと、手塚さんはゾーッとしたような顔をして、
「それがわからないのです。逃げだしたのでなくて、消えてしまったとしか思われません。あいつの姿が、だんだんうすくなっていって、ボーッとかすんで、そして、消えてしまったのです。あいつは魔物です。おそろしい魔物です。」
そうしているところへ、電話のしらせで、中村捜査係長がかけつけて来ました。
中村係長のさしずで、あらためて寝室の中をしらべましたが、なんの手がかりもありません。もう真夜中です。ともかく厳重な見はりをつけて、手塚さんや家の人たちを朝まで眠らせることとしました。その手配がおわったとき、
「オヤ、手塚さんが見えないようだが、どこへ行かれたんだね。」
中村警部が、からっぽのベッドに気づいて、びっくりして、たずねました。
「さっき、便所へ行かれるというので、田中君がついて行ったのですが。」
そういっているところへ、その田中刑事が青くなって、かけつけて来ました。
「手塚さんがさらわれました。申しわけありません。廊下の曲がりかどで、ヒョイと姿が見えなくなってしまったのです。そこの雨戸が少しあいていました。魔人のやつ、その雨戸の外の
田中刑事の大失策でした。しかし、今さらしかってみてもしかたがありません。中村警部は、刑事のほかに書生などにも手つだわせて、ただちに手塚家の庭の大捜索をはじめました。庭の林の中を懐中電灯やちょうちんの光がじゅうおうにとびまわりました。しかし、何も発見することはできなかったのです。魔人ばかりか、手塚さんまで、空中にとけこむように消えうせてしまったのです。