縄ばしご
その翌朝、まだうす暗い午前五時ごろ、名探偵明智小五郎が、ヒョッコリ手塚家に姿をあらわしました。
「アア、よかった。明智君、きみはぶじでいたんだね。」
中村警部はうれしそうに声をかけました。
「あいつは手塚さんまで、さらって行ってしまった。だから、きみもひょっとしたら、あいつにやられたんじゃないかと、しんぱいしていたんだ。だが、きみは二日ほどうちへ帰らなかったようだが、いったいどこへ行っていたんだ。」
「ウン、それは今にわかるよ。それよりも手塚さんの行くえをつきとめなくちゃあ……サア、大いそぎだ。」
明智がいきなり、どこかへ出かけようとするので、中村警部はびっくりして、
「きみはいったいどこをさがそうというのだ。庭のうちそとは、ゆうべから何度となくさがしまわったが、なんの手がかりもつかめなかったんだよ。」
「イヤ、ぼくにはだいたいけんとうがついているんだ。きみもいっしょに来てくれたまえ。それから刑事さんもひとり。」
明智はさも自信ありげです。
「むろん、いっしょに行くが、どこへ行くんだね。」
「庭の林の中さ。」
「林の中なら、すっかりしらべたが、すこしも、うたがわしい個所はなかったよ。」
「ところが、たった一つ、きみたちが見のがしているものがあるんだ。」
明智が何を考えているのか、少しもわかりませんが、これまでいろいろ手がらをたてている名探偵のいうことですから、中村警部もだまって、これにしたがうことにしました。
明智は縁側に靴を持ってこさせて、庭におり、グングン庭の林の中へはいって行きます。中村警部はひとりの刑事をつれて、そのあとにつづきました。千坪もある広い庭。大きな木の立ちならんだ林の中は、昼も暗いほどです。明智はちゃんと行く先がわかっているらしく、わき目もふらず進んでいきましたが、ふと立ちどまると、「これだよ。」とささやき声でいって、前を指さしました。
それは一つの古井戸でした。土をかためて作った古ふうな井戸がわが、半分くずれてしまったような古い古い井戸でした。中村警部はけげん顔で、
「その井戸もじゅうぶんしらべたんだよ。中は石がけになっているが、べつに、ぬけ穴はないようだぜ。」
「シッ、大きな声をしちゃいけない。あいつはこの下にいるんだ。きみはピストルは持っているだろうね。」
明智はいよいよささやき声です。
「ピストルを手に持っていてくれたまえ。いつ攻撃を受けるかもしれないのだから。」
それをきくと、警部はにわかに緊張して、ピストルをサックから取りだしました。
「見たまえ、この井戸の底を。」
明智が懐中電灯で井戸の中をてらすと、中村警部がのぞきこんで、びっくりして顔をあげました。
「オヤッ、すっかり水がなくなっている。ゆうべのぞいた時も、その前に見た時も、この井戸の底にはドス黒い水が、いっぱいたまっていたんだが……。」
「そこが魔法なんだよ。あいつが呪文をとなえると、井戸の水がスーッとなくなってしまう。そして、ここが地下の密室への出入口になるというわけだよ。」
「じゃあ、この地の下に魔人のすみかがあるというのか。」
「そのとおり、手塚さんも、昌一君も、雪子ちゃんも、小林君も、みなこの地の底へつれこまれているのさ。」
「フーン、おどろいたなぁ。手塚さんの庭の井戸の中が賊のすみかだなんて、なんという大胆不敵なやつだろう。」
「そこが魔法使いの物の考えかたなんだ。すべてふつうの人間の逆を行くのさ。だから、あたりまえの考えかたでは、あいつの秘密をつかむことはできない。こっちも逆の手を使わなくてはだめなんだよ。サァ、ぼくはこの縄ばしごで先におりるから、きみたちはあとからついて来たまえ。そして、いざとなったら、かまわないから、ピストルをぶっぱなしてくれたまえ。」
「三人ぐらいで、だいじょうぶかい。相手はたくさんいるんじゃないのかい。」
「だいじょうぶ、ぼくは敵の秘密はだいたい、さぐってあるんだ。三人でも多すぎるほどだよ。」
明智探偵は小わきにかかえていた小さい新聞紙の包みをとくと、中から黒い絹糸をよって作った、細いけれどもじょうぶな縄ばしごをとりだし、そのはしの、まがった金具を井戸がわにかけ、縄ばしごを井戸の中にたらして、用心しながら、それを一段一段とくだって行きます。
井戸は三メートルほどの深さで、まわりはコケのはえた古い石がけ、底にはコンクリートがしきつめてあります。井戸の古さにくらべて、このコンクリートはごくあたらしいのです。井戸の底をコンクリートでかためるなんて、聞いたこともありません。さきほど明智がいったとおり、地底のすみかへの入口として魔人が何かしかけをしたものでしょう。
井戸の底はおとながふたりはらくに立てるほどの広さです。明智は縄ばしごをおりると、無言で懐中電灯の光を石かべの一方に向けました。あとからおりて来た中村警部に地下の通路をしめすためです。
石かべの一ヵ所が、人間ひとり、やっと通れるほどの穴になっています。明智は先に立って、その穴をもぐりました。穴のむこうがわは、コンクリートの四角い箱のような場所です。そこにだんだんがついていて、それをあがると、正面に大きな鉄のとびらがしまっています。
読者諸君にはハハアと思いあたることがあるでしょう。そうです。あれと同じ井戸の底なのです。小林君、昌一君、雪子ちゃんの三人が、おそろしい水ぜめにあったあの穴なのです。
あれからまだ八時間ほどしかたっていないのに、あのたくさんの水は、すっかり地の底へ吸いこまれてしまったのでしょうか。イヤ、そんなはずはありません。井戸の底はすっかりコンクリートでかためてあるのです。では、どうして水がなくなったのでしょう。また、小林君たちは、あれからどうなったのでしょう。水におぼれてしまったとすれば、三人の死がいがあるはずです。しかし、そんなものは何も見あたらないではありませんか。
それから、もっとふしぎなことがあります。魔人は小林君たちが逃げだそうとした時には、水ぜめにして、これをふせぎました。ですから、明智探偵たちがはいって来たとわかれば、また水ぜめにして、ふせぐことができたはずです。魔人はなぜ水をださないのでしょう。それとも、探偵の来たことをまったく気づかないでいるのでしょうか。
それもこれも、今にすっかりあきらかになります。そして、わが明智小五郎がどんなにえらい探偵だかということがわかるのです。