暫らくすると、一寸法師は滑稽な身振りでベンチから降り、ヒョコヒョコと彼の方へ近づいてきた。紋三は何か話しかけられるのではないかと、思わず身を堅くしたが、幸い彼の腰かけていた場所は大きな木の幹のかげになっていたために、相手はそこに人間のいることさえ気づかぬらしく、彼の前を素通りして、一方の降り口の方へ歩いてゆくのだった。
だが、そうして彼の前を二三歩通り過ぎた時、一寸法師の懐中から、何か黒い物が転がり落ちた。繻子の風呂敷様のもので包んだ、一尺ばかりの細長い品物だったが、風呂敷の一方がほぐれて少しばかり中味がのぞいていた。それは明かに、青白い人間の手首であった。きゃしゃな五本の指が断末魔の表情で空をつかんでいた。
不具者は、たれも見る者がないと思ったのか、別段あわてもしないで、包物を拾いあげ、懐中にねじ込むと、急ぎ足に立去った。
紋三は一瞬間ぼんやりしていた。一寸法師が人間の腕を持っているのは、極く普通のことの様な気がした。「馬鹿な奴だな、大事そうに死人の腕なんか、ふところにいれてやあがる」何だか滑稽な気がした。
だが次の瞬間には、彼は非常に興奮していた。奇怪な不具者と人間の腕という取合せが、ある血みどろの光景を聯想させた。彼はやにわに立上って、一寸法師の跡を追った。音のしない様に注意して石段を降りると、すぐ目の前に畸形児の後姿が見えた。彼は先方に気づかれぬ様に、適度の間隔を保って尾行して行った。
紋三はそうして尾行しながら、何だか夢を見ている様な気持だった。暗い所で一寸法師が突然振返って、「バア」といい相な気がした。だが、何か妙な力が彼を引っぱって行った。どういうものか一寸法師の後姿から目をそらすことが出来なかった。
一寸法師はチョコチョコと小刻みに、存外早く歩いた。暗い細道を幾つか曲って、観音様の御堂を横切り、裏道伝いに吾妻橋の方へ出て行くのだ。なぜかさびしい所さびしい所とよって通るので、ほとんどすれ違う人もなく、ひっそりとした夜更けの往来を、たった一人で歩いている一寸法師の姿は、一層よう怪じみて見えた。
彼等はやがて吾妻橋にさしかかった。昼間の雑沓に引きかえて橋の上にはほとんど人影がなく、鉄の欄干が長々と見えていた。時々自動車が橋を揺すって通り過ぎた。
それまでは傍目もふらず急いでいた不具者が、橋の中程でふと立止った。そして、いきなりうしろを振返った。十間ばかりの所を尾行していた紋三は、この不意打に逢って、ハッとうろたえた。見通しの橋の上なので、咄嗟に身を隠すことも出来ず、仕方がないので、普通の通行人を装って、歩行を続けて行った。だが一寸法師は明かに尾行を悟った様子だった。彼はその時一寸ふところに手をいれて、例の包物をだしかけたのだが、紋三の姿を発見すると、あわてて手を引っこめ、何食わぬ顔をして、又歩きだした。