紋三は大急ぎで、元の道を引返し、杉垣の破れから寺の裏手をのぞいて見た。すると、墓地の向側に庫裏らしい建物があって、今丁度そこの入口を開いて、たれかが中へはいるところであった。その時、戸の隙間から漏れる光に照しだされた人影は、疑いもなく不恰好な一寸法師に相違なかった。人影が庫裏の中に消えると、戸締りをするらしい金物の音がかすかに聞えた。
もう疑う余地はなかった。一寸法師は意外にもこの寺に住んでいるのだ。紋三はでも念のために杉垣の破れをくぐって庫裏の近くまでゆき、暫くの間見張り番を勤めていた。中では電燈を消したらしく、少しの光も漏れず、又聞き耳を立てても、コトリとも物音がしなかった。
その翌日、小林紋三は十時ごろまで寝坊をした。近所の小学校の運動場から聞えて来る騒がしい叫び声にふと目をさますと、雨戸の隙間をもれた日光が、彼の油ぎった鼻の頭に、まぶしく照りつけていた。
彼は寝床から手を伸して、窓の戸を半分だけ開けて置いて、蒲団の中に腹ばいになったまま、煙草を吸い始めた。
「昨夜は、己はちとどうかしていたわい。安来節が過ぎたのかな」
彼は寝起きの口を、ムチャムチャさせながら、ひとり言をいった。
総てが夢の様だった。お寺の真暗な庫裏の前に立って、中の様子をうかがっている内に、段々興奮がさめて行った。真夜中の冷気が身にしみる様だった。遠くの街燈の逆光線を受けて、真黒く立並んでいる大小様々の石塔が、魔物の群集かと見えた。別の怖さが彼を襲い始めた。
どこかで、押しつぶした様な、いやな鶏の鳴声がした。それを聞くと彼はもう堪らなくなって逃げだしてしまった。墓場を通り抜ける時は何かに追駈けられている気持だった。それから、夢の中の市街のように、どこまで行っても抜け道のない、複雑な迷路を、やっとのことで、電車道の大通りまでたどりつくと、丁度通り合せたどっかの帰りらしい空のタクシーを呼び止めて、下宿に帰った。運転手が面倒臭そうに行先を尋ねた時、彼はふと遊びの場所をいおうとしたが、思い直して下宿のある町を教えた。彼は何だか非常に疲れていたのだ。
「おれの錯覚なんだろう。人間の腕のふろ敷包みなんて、どうも余り馬鹿馬鹿しいからな」
部屋中に満ち溢れている春の陽光が、彼の気分をがらりと快活にした。昨日の変てこな気持がうその様に思われた。