婆さんは話好きと見えて、雄弁にしゃべり続けた。だが、紋三はここでも別段に得る所はなかった。彼はいい加減に話を切上げて、せんべいのふくろを荷厄介にしながら電車道の方へ歩いた。道々、酒屋とか車の帳場とかへ立寄って、同じような事を尋ねたけれど、どこでも一寸法師を知っている者はなかった。彼は益々変てこな気持になって行った。
雷門で電車に乗ってからも、彼は妙にぼんやりしていた。何か頭に薄い幕が張ったような気持だった。
「まあ、小林さんじゃありませんか」
電車が上野山下をすぎた時、だれかが彼の前に立って声をかけた。物思いに沈んでいた紋三は、その小さな声に飛上る程驚かされた。何か悪い事をしているところを見つかった感じだった。相手を識別しない前に、額の辺が真赤になった。
「ホホホホホホ、ぼんやりなすっているのね」
そこには、思いがけぬ山野夫人が、ニコニコして立っていた。
「どちらへ?」
彼女は癖の、首をかしげて尋ねた。
実業家山野大五郎氏の夫人ともあろう人が、今ごろ満員電車のつり革にぶらさがっていようとは、あまりに意外なので、紋三はすっかり面喰った。
「どうも御ぶさたしました。サアどうか」
彼は兎も角立上って席を譲ろうとした。立上る時、あまりあわてたのと、その時丁度電車がカーヴの所を通り過ぎた為に、フラフラとして、彼の手が夫人の腿の辺に触ったので、彼は一層面喰って真赤になった。
「エエ有難う。丁度いい所で逢いましたわ、私少し伺いたいことがありますのよ。お差支なかったら、この次は広小路でしょうか。今度止ったら私と一緒に降りて下さいません?」
「ハ、承知しました」
紋三はまるで夫人の家来ででもある様に、鞠躬如として答えた。彼は日頃から山野夫人の美貌に対して、ある恐怖に似たものを感じていた。彼は同郷の先輩である主人の山野大五郎氏よりも、この夫人に接する時の方が一層、気づまりであった。
上野広小路で電車をおりると、二人は肩を並べて公園の方へ歩いて行った。
「あなたおひる、まだでしょうね。私もそうなのよ。でも暫く散歩をつき合って下さらないこと。その代りお話をしてしまったら精養軒をおごりますわ。少し人に聞かれちゃあ都合の悪いお話なんですから」