紋三は明智のうしろから、および腰になってピアノの内部よりはむしろ明智の表情を注視した。彼はピアノの共鳴箱の空洞の中に、ある恐しいものを予期していた。腕と足とを切断された、血まみれの女の死体が、ありありと目の前に浮んだ。
だが、すっかりふたが取り去られた内部には、一見何の異状もなかった。広い空洞の奥に、縦横に交錯したスプリングが見えているばかりだった。
それを確めると、紋三はホッとして楽な姿勢に返った。そして、今の馬鹿げた空想をおかしく思った。彼は夫人と目を見合せて、一寸微笑み合った。夫人も同じ心に相違なかった。
併し、それにも拘らず、明智だけは一層厳粛な表情になってピアノの内部を一心に検べていたが、やがて立上ると、二人の方に振向いて、声を落していった。
「奥さん、これは普通の家出なんかじゃありませんよ。もっと恐しい事件ですよ。びっくりなすってはいけません。このヘヤーピンはお嬢さんのでしょうね」
明智は細い金属のヘヤーピンを示した。
「ハア、それは三千さんのかも知れません」
「これが、ピアノの中のスプリングに引かかっていたのです。それであんな音がしたのでしょう。それから、お嬢さんの髪は細くって、いくらか赤い方ではありませんか」
彼はピンの外に一本の毛髪を指にからませていた。
「マア、では……」
山野夫人は驚いて叫んだ。
「まさかお嬢さんが隠れん坊をなすった訳ではないでしょう。一人でこの中へ入ってふたをしめることは不可能です。すると、何者かがお嬢さんをここへ隠したと考える外はありません」明智は少しちゅうちょしたあとで、「これは僕の想像に過ぎませんが、その者は、一時お嬢さんを隠して、行方不明を装って置いて、皆の注意が別の方へそれた時分を見はからって、お嬢さんの身体を家の外へ運んだのではないかと思われます」
「でも、あの日は一人も来客はなかったのですし、ここは一番私共の部屋に近いのですから、だれか忍び込めばすぐ分るはずでございますが」
夫人はどうかして明智の想像を否定しようとした。
「とすると、お嬢さんはその時自由な身体であったとは考えられません」明智は構わず彼の判断を続けた。「声を立てたり身動きが出来たとすれば、だれかが気づいたでしょう。恐らくお嬢さんは動くことも叫ぶことも出来ない状態にあったのです。
妙な隠し場所ですが、咄嗟の場合外に方法がなかったのかも知れません。犯罪者というものは、一寸我々では想像出来ない様な、馬鹿げた思いつきをするものです。それが都合よくお宅に外にピアノをお弾きになる方がなかったものですから、見つからないで済んだのです。だが、お嬢さんを隠した奴は、存外冷静にふるまったようです。僕はさっきから、このふたの漆の上に指紋が残っていないかと調べて見たのですが、何もありません。綺麗にふき取ってあります」
最初は何か本当らしくない様な気がしたが、段々明智の説明を聞く内に、事件の性質がハッキリ分って来た。第一に気づかわれるのは、三千子の生命の安否であった。山野夫人は、それを口にするのが恐しい様子で、一寸もじもじしていたが、態となにげない風でいった。