途切れ途切れの切ない声だった。それが一こという度に、闇の中を、はう様に百合枝の方へ近寄って来た。事実声の主は少しずつ、少しずつ、彼女の方へにじり寄って来るらしく、黒いもののうごめく気勢が、段々身近に感じられた。
百合枝は変な気持だった。ただ怖いのではなくて、何かこう不気味な獣に襲われている様な、妙なすごさだった。それに不思議なことには、相手の告白を聞いている内に、その蛇の様な執念に、ある魅力を感じ出していた。それは憐みの情というよりも、もっと肉体的な一種の懐しさであった。
突然柔かいものが彼女の膝をはい廻って、逃げる暇も与えず、つと彼女の手を握った。冷く汗ばんだ男の掌が感じられた。
「アラ」
百合枝は、思わず低い叫びを上げて、それを振り離そうとした。だが、思い込んだ男の手は、黐の様にねばり強くて、容易に離れなかった。離れないばかりか、段々強い力で彼女のきゃしゃな指を締めつけて行った。
それと同時に妙な音が聞え始めた。百合枝は最初、男が咳をしているのかと思った。コホン、コホンと烈しく喉が鳴った。だが、間もなくそれが鼻をすする音に変り、そして、不意にククククククククククと、むせ返る様な声が起った。男が泣き出していたのだ。彼は百合枝の手先を締めつけ締めつけ、彼女の腕にポタポタと涙を落して、気でも狂った様に泣き続けた。
百合枝は男の激情に引入れられて、彼女もいつの間にか、不思議な興奮を覚えながら、片手を男のなすがままに任せて、黙って彼の泣き声を聞いていた。手の上に雨の様に降りかかる涙の感触が、彼女の恐怖を少しずつやわらげて行った。
「百合枝さん、百合枝さん」
男は泣きじゃくりの間々に、幾度となく彼女の名を呼んだ。そして、彼の一方の手は、大きな昆虫の様に、五本の足で百合枝の全身をはい歩いた。膝から帯を越し、むずがゆく乳の上をはって、なだらかな肩をすべり、背筋のくぼみを、あやす様になで廻した。百合枝は薄い着物を通して、ジトジト汗ばんだ柔かい掌を、直接肌に触れられでもした様に、不気味に感じた。だが、それは甚だしく不気味であったにも拘らず、同時に怪しくも彼女の道念を麻痺させる力を持っているかと見えた。