日々の新聞紙が、山野家の珍事について書き立てたことはいうまでもない。百貨店の片腕事件が未曾有の珍事であった上に、被害者が若い娘であること、加害者が非常に曖昧なこと、その上一寸法師の怪談までそろっているのだから、あのセンセーションを巻起したのは誠に当然だった。事件が評判になるにつれて、山野家関係の人々が胸を痛めたのは勿論だが、中にも主人公の大五郎氏は、一人娘を失った悲しみに加えてこの打撃に、にわかに病勢が募り、それが又一家の者の心配の種となった。
ところが、意外なことは、その最中に、山野夫人が又しても例の異様な男の誘いに応じ、二度目の密会をとげるために、今度は大胆にも昼日中家を外にしたことであった。例によって彼女は片町へ行くといって出たのだが、それを聞いた紋三がもしやと思って、そっと片町の彼女の伯父のところへ電話をかけて問合せた結果、それが分ったのだ。紋三以外にはだれも知る者はなかった。
ところが、丁度その折を選んだ様に、夫人にとって実に危険なことが起った。夫人の秘密は遂に暴露する時が来たかと思われた。
紋三は山野夫人が片町へ行っていないことを電話で確めたけれど、この前の様にすぐ後を追う元気はなかった。一方では夫人の安否が気遣われたが、又一方では、この間の晩の出し抜かれた気持を思い出すと、そうして心配しているのが馬鹿馬鹿しい様でもあった。妙な嫉妬みたいなものが、彼をひどく憂鬱にした。
夫人の行先は中之郷O町の例の家に相違ないのだが、そこへ行って、もしいやなものを見る様だとたまらないと思った。といって夫人の帰るのを書生部屋で山木とにらみ合って待っているのは尚つらい。彼は兎も角山野家を出て、電車道の方へ歩いて行った。
「これは一層明智でも訪問して気を紛らした方がいいかも知れない。三日ばかり会わないのだから、探偵の方も余程進捗しているだろうし、それにこの間はなぜか隠す様にしていたが、どうやらO町の家の秘密を握っている様子だから、一つ詳しく聞出してやろう」
紋三はふとそんな風に考えた。それというのが、彼はこの事件で夫人の勤めた役割を明智の口から早く聞きたかったのだ。
明智は今日も宿にいた。いつの間に働くのだか分らない様な男だった。
「ヤア、丁度いい所だった」
紋三が女中のあとについて部屋にはいると、例によって明智のニコニコ顔があった。
「実はね、三千子さんの事件が大体形がついたのだよ。君にも知らせようと思っていた所なんだ」
「じゃ、犯人が分ったのですか」
紋三はびっくりして尋ねた。
「それはとっくに分っていたさ。ただね、今日まで発表出来ない訳があったのだよ。それについて、実はこれから捕物に出かけるのだ、今に警視庁の連中が僕を迎えにくることになっている。僕が指揮官という訳でね。それに今日は珍しく刑事部長御自身出馬なんだ。心易いものだからね。僕が引っぱりだしたんだよ。だが、この捕物は十分それだけの値打がある。相手が前例のない悪党だからね。実際世の中には想像も出来ない恐しい奴がいるものだね」