明智は例によって、思わせぶりな物のいい方をした。これが彼の探偵生活での、いわば唯一の楽しみなのだ。併しそれが聴手の好奇心を刺戟した効果は大きかった。彼等は煙草を吸うことさえ忘れて、小学生の様に明智の滑らかに動く脣ばかり見つめていた。
「ところが、ここにもう一人、第六の嫌疑者が現れました。それはたった今、私の部下が山野夫人と小林君のあとをつけて、夫人の告白を聞いて確めることが出来たのです」明智は隅田堤での一部始終をかいつまんで話した、「これは山野夫人の不思議な行動から、私も早く気づいてはいたのです。しかし貞淑な夫人の数々の人知れぬ心遣いは、夫人には誠にお気の毒な訳ですが、全く無駄であったのです。山野氏は決して実子殺しの罪人ではありません」
驚くべきは、明智はそうして悉くの嫌疑者を、片っぱしから否定してしまった。
「併し、夫人が山野氏が過って実子を殺したものと信じたのは、決して無理ではなかったのです」明智が続けた。「夫と妻の間にそんな誤解が生じるというのは、一寸考えると変な様ですが、山野氏が人一倍厳格な性質であること、夫人との間柄が一種特別の、例えば昔流の主従の様な関係にあったこと、それから、今度の事件に対する山野氏の不思議な立場が、二人の間に妙な疎隔を生じたことなども、この誤解の原因であったに相違ありません。凡ての事情が偶然にも山野氏を指さしている様に見えたのです。第一事件の当夜山野氏は洋館の方で夜更しをしました。運転手の蕗屋を追かけて行って多額の金円を与えました。そこから帰ると神経性の発熱に襲われ、事件が発展するにつれて彼の病気は重くなって行きました。家人を遠ざけて口も利かない日が続きました。それから、不具者が夫人に送った脅迫状の中には、山野氏の名前が記されていたのです」
彼は台の上の例の焼残りの手紙を取って、それを手に入れた径路、文面等を説明した。
聞手は凡て意外な顔色であった。たった一人、安川国松だけが、明智の話も耳に入らずブルブルふるえていた。
紋三も最初は意外な感じがした。いよいよ間違いないと思っていた山野氏まで犯人でないとすると、最早疑うべき何人も残っていないのだ。一体全体明智は何を考えているのか。彼は今夜真犯人を引渡すと公言している。ではその曲者はこの安川の家にいるのであろうか。まさかあの人形師がその犯人ではあるまいな。だが、そんな風に色々と考えている内、ふとある驚くべき考えが、彼の頭をかすめた。彼は驚愕と喜悦の為に、顔が真赤になった。
「あの写真だ。明智があの写真を見て、つまらないおしゃべりをした。あれだ。あれをもっとよく考えて見ればよかったのだ」
それは曾て明智の机の上にあり、今はそこの台にのせてある、山野の家族一同の写真だった。明智がなぜあの写真を意味ありげに取扱ったか、その訳が今こそ分ったのだ。それにしても、これはまあ、何という驚くべき事実であろう。
「そこで、嫌疑者が一人もなくなった訳ですが、殺人行為があった以上、犯人のないはずはありません」明智の説明は続いた。「犯人は確にあったのです。ただそれが余りに意想外な犯人であるために、何人も、山野夫人すらも、気がつかなかったのです。私は御約束通り、今夜その犯人を御引渡し致します。ですが、その前に、私が真犯人を発見するに至った径路をかいつまんで御話して置き度いと思うのです。警察の方々には多少御参考にもなろうかと思いますので」