家斉は、床の上に寝たり起きたりである。
発病後、しばらくは意識がもうろうとしていたが、それは次第に恢復した。
「頭が痛い、頭が痛い」
と訴えたものだが、近ごろは、それも少くなった。
ただ、軽微だが、半身に痺《しび》れが残った。
典医、法印中川常春院はじめ、お附の医師たちの必死の手当も、これだけは及ばないようだった。
常春院のすすめた苦心の薬は当帰《とうき》の根、|川※[#「くさかんむり/弓」、unicode828e]《せんきゆう》の根、芍薬の根、木瓜《からぼけ》の実、|おにのやがら《ヽヽヽヽヽヽ》の根、莵糸子《ねなしかずら》の種子《たね》などを乾燥し、粉末にして調剤したものである。これは、半身不随、言語渋り、気血渋滞し、遍身疼痛するを治す、卒中風の妙薬だった。
家斉も言語障害が多少残った。ただし、聞き分けられぬほどではない。
目下の最大の療治は按摩であるが、家斉が専門家を嫌うので、専ら、お美代の方と、水野美濃守とが当っている。
家斉は、近ごろでは美濃守の肩にすがって座敷を軽く歩くことさえ出来るようになった。この座敷は京間で三十五畳敷である。だだ広くて、いい運動場である。
寝ついていても、家斉は政務を見た。本丸の将軍家慶に実権が与えられぬことは、依然、同じであった。
尤も、これは、自分が眼を通すわけではなかった。本丸から廻ってきた書類を、枕元で美濃守が読み上げるのである。
「よろしゅうございますか?」
美濃守がきくと、家斉は、仰向けた顔を一つうなずかせる。それが決裁となる。
「いかが、致しましょうか?」
美濃守が枕元で問うと、家斉は黙って知らぬ顔をしている。不許可なのだ。
すべて、家斉の意志をきくかたちになっているが、美濃守の舵のとりようで決裁が決るらしい。
発病時からの習慣で、この病間には、余人は一切出入りを禁じられている。介抱人、水野美濃守ひとりが、つきっきりだった。その後「奥締り」が解けて、お美代の方が参加することになった。
他の者は、医師以外、御病間には、絶対に近づけぬから、万事、水野美濃守ひとりの計らいで政務が決着するような印象を本丸に与えた。
本丸側の不平不満は、もとよりである。
「あれは美濃めが独断でやりおるのだ」
と憤慨するが、家斉の寵愛がある以上、抗議も表立って出来ない。
病室には、お美代の方と美濃守だけが看侍しているのだから、大御所の命令は何ごとも意の如くなりそうだった。
が、実は、彼らの最大の望みだけは、そう簡単には実現しなかった。
家斉は、現在は病気が小康を保っているが、いつ再発するか分らない。年齢も六十八歳である。今度、倒れたら、死は確実にくる。
それまでに、と水野美濃守をはじめ一党が熱望しているのが、家斉の内書だった。
──現将軍家慶を大御所に、世子家定を将軍に、その後嗣に前田大納言息犬千代を迎えて世子に直す。
構想は、その後に、身体の弱い家定を出来るだけ早く廃して、犬千代を将軍職につかせる。云うまでもなく、前田犬千代はお美代の方の生んだ溶姫が前田家へ輿入れして儲けた子であるから、林肥後守や水野美濃守などの一派は、家斉亡きのちも、今まで通り権勢が安泰だという次第である。
この墨附のことは、家斉に前々から、美濃守が請願しているが、さすがの家斉もすぐ書くとは云わない。内諾はしているものの、やはり重大だと思っているので、延ばし延ばししてきた。そのうちに、卒中風に倒れたのである。
水野美濃守の看病は、まことに至れり尽せりで、数十日もわが屋敷に帰ったことがないくらいだったが、この忠誠は、無論、お墨附頂戴の下心があってのことである。
家斉は病気恢復した。しかし、半身は痺れ、言語も明瞭ではなく、歩行も自由ではない。危く、廃人にならずに済んだのは、記憶や判断力だけは保っていたからである。
すべての仕置を、美濃守の読み聞かせる書状をたよりに決裁しているが、こんな身体になっても、まだ実権を家慶に譲らない執念はすさまじいものだった。
美濃守は、何とか早く墨附を家斉に書かせようと機会を狙っているが、病気になって以来の家斉の機嫌は甚しく悪い。
始終、床の上に暮しているのだから、いらいらしている。今までの自由気儘な生活を思うと、焦燥に駆られるのも当然であろう。
「う、う、う」
と家斉が突然、病床で唸《うな》る。
美濃守が、はっとして枕元に近づき、顔をよせて、その言語を聞き分けようとすると、
「こ、こ、こ」
と家斉は云う。起せ、という意味だ。
美濃守が、家斉の肩に手を入れ、床の上に起すと、突然、自由の利く片手で殴られるのである。
「こ、い、つ、め。こ、い、つ、め」
美濃守は折檻《せつかん》をうける理由は無いが、家斉の気の済むまで、打擲《ちようちやく》を受けねばならない。いらいらしている家斉は、理不尽な病気に対する憤りを、こんな暴れ方で晴らさねばならなかった。
近侍ひとりいない部屋で家斉の訳の分らぬ打擲の下にひれ伏している美濃守の心は、お墨附欲しさの一念で、じっと我慢していた。
家斉の折檻は、水野美濃守にだけではなかった。お美代の方に対しても同様である。
病人の気むずかしさは、最も愛する者を苛めるのである。理屈も何もない。抑鬱した病者の感情は、時ならぬときに爆発する。
家斉が、お美代の髪をつかみ、
「こ、こ、こいつ」
と、打擲している間、美濃守は傍に平伏して、その発作の鎮まりを待たねばならぬ。制止することは出来ない。
その代り、発作がすぎると、抑鬱した気分が晴れるとみえて、俄かに機嫌がいいのである。
不自由な舌を動かして、いろいろな話をする。発熱が去ったあとのように、けろりとしているのだ。憤りに燃えた眼には、忘れたようにおだやかな微笑が漂う。
こういう機嫌のいい時を見計らって、美濃守は例の墨附を家斉に書かせようと思うが、いざ、それとなく口を出すと、家斉も、さすがにことの大事を意識しているか、素直に、うん、とは云わない。また、家斉の上機嫌が間歇《かんけつ》的なだけ、美濃守は話が持ち出しにくいのである。
西丸老中林肥後守などは、
「例のものは、まだか?」
としきりに美濃守に裏で催促するが、
「いま暫らく」
と美濃守は、汗をふいている。
「大御所様に万一のことがあれば、万事は終る。今のうちに頂戴せねば」
と彼らは気を揉んでいる。
それに、この計画が本丸側に洩れるようなことがあっても大変である。その辺の気の遣い方は一通りではない。
そうでなくとも、美濃守ひとりがお側について、余人を家斉の病間に近づけないのだから、疑惑の眼で見られている。
ただ、家斉夫人だけは、時々、病室を見舞に来る。夫人まで制止することは出来ない。
夫人は、家斉に一言か二言、機嫌伺いのようなことを云って、そこに控えているお美代と美濃守をじろりと眺める。
家斉も、夫人は苦手とみえて、至極おとなしい。眼をつぶって、たいていは睡った恰好をしている。
夫人は、くんくんと鼻を鳴らし、病間の空気を嗅ぐようにする。その、しぐさは皮肉だった。いかにも汚れたものを嗅ぎ当てるように、わざとらしさを露骨に見せていた。
美濃守とお美代にすれば、甚だ気持がよくない。自分たちの野心を嗅がれそうで、夫人が見舞に来るたびに、心が萎縮する。
家斉の寿命と、他から覚られない要心とで、美濃守の焦燥は次第に濃くなって行った。
「何とか早く運ぶ工夫はないものか」
美濃守は、あせりながら考えた。
林肥後守などは、美濃守の顔を見るたびに、
「例のものは、まだ下りぬか」
と催促する。
「なにぶんにも、ご機嫌がむつかしくて、容易には……」
美濃守は頭に手をやった。
「石翁殿も心配されている。貴殿のご苦労は、われら肝《きも》に感じているが、何とか早くお墨附を頂かねば安心がならぬでのう」
肥後守は心|急《せ》いている。計画が成就すれば、将来は本丸老中に出世し、天下に采配が振れる。
反対に、その夢が破れると、家斉の死去後は、現在の地位を逐われるのだ。今まで、本丸側から憎まれているだけに、家慶の時代になったら、どのような追い討ちをかけられるか分らない。
出世と失意が、一に家斉のお墨附にかかっているのだ。
それは、無論、肥後守だけではない。美濃部筑前守や水野美濃守、中野石翁にも関連のあることだ。美濃守は若年寄、筑前守は御用御取次となって、本丸に転じ、今まで通り、いや、それ以上の権勢を続けようというものである。
石翁も、外孫が西丸に入って世子に坐れば、威勢はさらに加わることになる。
しかし、この夢も、家斉が何事も遺命せずに息をひくと、その瞬間から破れ、つづいて酷烈な免黜《めんちゆつ》を蒙るに違いない。
家斉の生命は薄氷の上に乗っているようなものだ。今度、仆《たお》れたら万事は終るのである。
「何とか、今の間に──」
と、かれらは気をもんでいる。
お美代の方も、局外者ではない。家斉が死ぬと、その日から髪を下ろし、お位牌をもらって尼の生活に入る。捨て扶持をもらって、細々と日蔭の暮しをするか、世子の祖母として、これまでの大奥の権勢を死ぬまで保てるかの岐路に立っている。
さればこそ、家斉のむつかしい機嫌をとり結び、お墨附下付の手伝いをしているが、何ごともすぐに承知した家斉が、今度ばかりは渋っているのである。
病床に昼夜、閉じこめられた病人の気鬱は、あらぬときに爆発して、まことに操縦が困難である。いま、笑っているかと思うと、次の瞬間には、身もだえして怒り出す。
「大御所様のご機嫌、なかなかに定まり難い。恐れながら、御脳《おつむ》も、通常とは見うけられぬが」
お美代の方は、陰で、美濃守にこぼした。
「されば、手前も困窮いたしております。ご病床に就かれて以来、日ごろのご気性がどこやらに失せ、仰せの如く、お人柄がちとお変りなされたように思われます」
美濃守は頭を抱えている。
「美濃どの、妾《わらわ》に一つの思案があるが──」
とお美代の方は云って、相手の顔を見た。
お美代が美濃守にささやいた思案とは何か分らぬが、美濃守がそれを聞いて膝を打ったことは確かである。
「まことに、それは名案でございます」
と彼は賛成した。
「よいところに、お気づき遊ばされました」
「そなたのような知恵者に賞められて、面映ゆい。首尾よくゆくであろうか?」
「お方様のお智恵こそ恐れ入りました。まことに妙計でございます」
「上様のお渡りは、いつか?」
「未だ、本丸よりお報らせがありませぬ。それがあり次第、とり計らいます」
将軍家慶は、家斉が倒れて以来、度々、見舞に来ている。重態の時は頻繁だったが、この頃は十日に一度か二度の割となった。
家慶が見舞に来るときは、本丸より事前に連絡があるのだ。家斉が卒倒した時は、足袋はだしで駆けつけた家慶も、病が小康状態になってからは、見舞の状態も落ちつきをとりかえした訳である。
美濃守が、お美代と打合せした翌々日、本丸より側用人岡部|因幡《いなば》守が、美濃守に面会を求めてきた。これは、いつもの事務連絡である。
「上様には、明日未の刻、大御所様御見舞に参られるお思召しでございます」
因幡守は通知した。
「それは忝う存じます。さりながら、未の刻よりも、午の刻限がよろしきかと存じます」
美濃守は答えた。
因幡守は、おどろいて美濃守を見た。今まで時刻の指定をされたことがない。
「それは、何かのご都合あってのことか?」
とかれは訊いた。
「されば」
と美濃守は、顔をくもらせた。
「大御所様のご機嫌は、このごろは、まことにお変りやすく、お傍に仕えているわれらも、ほとほと困《こう》じ果てております。因幡殿、拙者などは、時ならぬご折檻を蒙り、身体に生傷のたえ間がござらぬ」
「ほのかには承ってはいたが、左様なご機嫌では、お側ご介抱の美濃守殿も容易ではござらぬな。美濃どののご忠誠は感服のほかはござらぬ」
「いやいや、拙者如きは」
と美濃守は赤面した。
「それよりも、大御所様、お機嫌悪しく、荒々しきご所行なされるとき、上様のお渡りを願っても、お側のわれらとして、何とも恐れ入る次第。されば、日頃よりご看病申し上げていて拝察したのでござるが、毎日のうち、最もご機嫌うるわしき時が、総じてお昼時分、わけても午の上刻が一番およろしい。上様には、何とぞ、その刻に、お渡りを……」
将軍家慶は、当日、午の刻(正午)、乗物に乗って本丸から蓮池御門を出て、西丸大奥に向った。
西丸御裏御門外までは、西丸側の諸役人が出迎える。将軍家は、この御門の前で輿《こし》を下りた。
大御所見舞として、このごろは習慣となっている。家慶は先導されるまま、徒歩でお広敷門から玄関にかかった。
水野美濃守は出迎えの中にいたが、御行列の供に御側衆岡部因幡守が随行しているのを認めると、素早く因幡守の横にすり寄った。
「因幡殿」
美濃守は低声《こごえ》で云った。
「大御所様のご機嫌、殊のほか麗わしゅうござる」
「それは重畳《ちようじよう》」
因幡守は微笑した。
「ついては、ご対面のあと、上様にご中食をさし上げまするが、ご病間にてお厭《いと》い遊ばすことはございませぬかな?」
「なんの」
因幡守は答えた。
「それは、上様にも一段とお喜びでございましょう」
「それにつきまして」
と美濃守は因幡守に耳打ちした。
「上様には、御膳に向われましても、なにとぞ、お箸をおとり下されぬように願いまする」
因幡守はそれを聞いて怪訝《けげん》な顔をした。
「はて、その仔細は?」
「大御所様には、とかく、このごろ、お召上りものがすすみませぬ。されば、御前でお箸をおとり遊ばすことは、大御所様ご機嫌の手前、ご遠慮のほど願いとう存じます。また、ご病間なれば、上様に対してとかく恐れ多うござります」
「そのご斟酌《しんしやく》はともかくとして」
と因幡守は顔をすこし曇らせて云った。
「貴殿より左様なお心遣いがあれば、早速にも上様に言上いたします」
「なにぶん大御所様のご機嫌は、ご不例以来、一寸先が定まりかねます。その辺のところ、よろしきよう言上願います」
因幡守はうなずいた。
家斉のわがままは聞いている。日夜、看侍している美濃守の注意であるから、至極もっとも千万と諒解したのである。
家慶はお広敷玄関を上り奥へ進んでゆく。ご病間までのお廊下には、女中どもが平伏して出迎えた。
「美濃どの」
お美代が、こっそりうしろから呼びとめた。
「誰ぞに話しましたか?」
美濃守は一礼して傍に寄った。
「因幡に通じておきましたゆえ、安心でござります」
そう云い捨てると、かれは廊下を病間の方へ急いで去った。
将軍家慶は、病室となっている御休息の間で家斉に対面した。
家斉は上座に敷かせた夜具の上に半身を起した。うしろに廻って介抱しているのは、いつものように水野美濃守である。
三方の襖《ふすま》は、杉に桜花の極彩色、襖の引手は花葵形、まわりに七子地《ななこじ》御紋散らし、金具には金|鍍金《めつき》がしてある。天井は貼《はり》天井で、金砂子に切箔《きりはく》を置き、天井下の貼付は金砂子に金泥にて雲形が描いてある。京間ながら三十五畳敷の畳は高麗縁《こうらいべり》で、敷居、鴨居、長押《なげし》は槻《けやき》を用いている。
北口長さ九尺、奥行三尺の床と、紫檀《したん》の違棚とがある。違棚の上の袋戸棚は四枚襖で、縁は黒塗、金砂子秋草の極彩色、下の袋戸棚は二枚襖で極彩色の山水を画く。
こんな極彩色に囲まれた居間に家斉は寝ているからとんと病間の感じはしないで、かれは結構ずくめの金襴《きんらん》の中に人形のように坐っているみたいである。
「大御所様の御気色《みけしき》、今日は一段と麗わしきようで祝着に存じまする」
家慶は見舞の口上を云う。
それに対して家斉から、
「将軍家には、今日のお見舞、千万忝けない」
という意味の会釈がある。もっとも、はっきりと口が廻らない。挨拶といっても簡単なものだった。
それが済むと、打ち融《と》けて御父子の間に四方山《よもやま》の話があるのが普通だが、家斉の舌が痺《しび》れていては話がある筈がない。しかも、この父子の間は円満とはいえなかった。
挨拶が済んだころを見計らって、お小姓が、黒塗梨地に金泥御紋散らしの食膳を捧げて入って来て、恭々しく家慶の前に置いた。
家慶はそれを見て、家斉に向って一礼した。これは昼餉《ひるげ》を賜った礼である。
しかし、家慶は膳を一瞥しただけで、箸を手にとろうともしなかった。
水野美濃守は、家斉の背後にうずくまって、家慶の一挙一動を窺っていた。家慶が箸を把《と》り、鶴の吸物椀にでも一口つけたら、計画は狂うのである。
家慶は、とうとう箸をとらなかった。
大御所に改めて別れの挨拶をすると、家慶はつつましげに座を起った。
見ている美濃守は、思わず安堵した。
蒔絵の食器は蓋をしたまま、ぽつんと畳の上に取り残されている。
将軍家が去り、諸人が退くと、家斉が俄かに肩を大きく動かした。
「み、み、みの」
性急なときは、ことに言語がはっきりしない。
「し、しょうぐんけには、い、いかなる、し、しさいで、ち、ち、ち……」
将軍家は如何なる仔細で食膳に手をつけぬのか、と問うたのである。美濃守が待っていた質問だった。
なぜ、将軍家慶は食事をとらぬか、と家斉に訊かれたとき、美濃守は、
「はい……」
と答えたまま、あとを黙っていた。云いにくいから躊躇しているという体《てい》だった。
「も、もうせ」
家斉は性急になった。顔つきが、もう険しくなっている。
「さればでございます」
美濃守は、云いかけたが、何と思ったか急に平伏した。
「恐れながら、臣下の手前として、こればかりは憚り多うございます」
「い、云え」
家斉は美濃守を睨み据えた。顔の半分が痺れているから、左右の眼の大きさが異っている。
「は」
美濃守は、もじもじした。
「み、の」
家斉の声は苛立《いらだ》った。癇癪《かんしやく》を起す一歩手前の表情だった。
「さようなれば……」
散々、気をもたせた末に美濃守はようやくに事の理由を云い出した。
「……申し上げまする。しかし、なにぶんにも、これは手前の推量にございますれば、左様にお聞き捨て願いとう存じます」
「は、はやく、もうせ」
「将軍家には、とかく、西丸にて差上げる食膳はお箸をおつけ遊ばされぬことになっております。その仔細を、他の者についてだんだんに訊きますると……」
美濃守は、また、絶句した。
「な、なんじゃ?」
家斉の声が尖った。
「恐れながら、将軍家には、西丸にて奉る食膳には、もしや毒物が混りあるやもしれぬとのご懸念の趣やに承ります」
美濃守は、云い憎いことを一気に吐いて、再び慴《おそ》れるように平伏した。
「な、なんともうす」
家斉の顔が、おどろきと怒りで歪んだ。
「ど、く、ぶつ、だと?」
「はい。何とも、はや、恐れ入りまする。まさかとは存じまするが、ほかにも心当りのあること故、天罰をも顧みず、大御所様のお耳に達しましてございまする」
美濃守は、声音を慄《ふる》わせた。
「こ、ころ、あたりとはな、なんじゃ?」
家斉の眼が血走った。
「はい。……手前、かねてより心がけて拝見しまするに、いまだ右大将様(世子家定のこと)おひとりにて西丸に渡らせられたことがございませぬ。かならず、将軍家がご同道でございます。しかも、表にて奉る茶菓を、右大将様は将軍家のお顔色をご覧になり、ついぞお召上り頂いたことがございませぬ」
「み、の、そ、それは、まこと、か?」
家斉は見る見るうちに怒気を顔に現した。
「何条もって、偽りを申し上げましょうや」
美濃守は低頭して云った。
「神仏をおそれず、かように申し上げましたのは、一重に大御所様への忠誠、真実をお耳に達せんがためでございます」
「う、うむ」
家斉は唸った。顔面の青筋が怒張した。
「みの」
「はっ」
「し、しょうぐんけは、それほどまでに、わ、わしを、うたがい、おるか?」
「何とも、はや、申し上げようもござりませぬ。さりながら、これは上様のみのお思召しではござりませぬ」
「な、なんじゃ?」
「本丸大奥にては、かねて西丸大奥を白い眼で見られておるようでござります。恐れながら、大御所様ご急病のとき、怪しからぬ風聞もきこえて参りました。それもこれも、悉く本丸大奥が噂の出所でございます。なかには、坊主をたのみ祈祷する女中もあるとか承りました」
美濃守は、そこまで云うと、はっとしたように平伏した。
「き、きとうをしたと、もうすか。な、なんのため、じゃ?」
家斉は、その一語を聞き洩らさなかった。
「はっ、そればかりは、あまりに恐れ多うござります故……」
美濃守は、渋った。
「いえ」
「はっ」
「い、いわぬか」
家斉は、せき込んだ。
「はあっ」
美濃守は顔の汗を拭いた。
「左様なれば、申し上げまする。祈祷は、大御所様ご全快を祈願してと申しているのは表向きのこと、内々は、かえってお命を縮め参らすようにと……」
「なに!」
「それも、これも、本丸にては一日も早く天下の実権を握りたいあせりからと存ぜられます。されば、将軍家や右大将様が西丸にお渡り遊ばしても、本丸では己の僻事《ひがごと》がある故、西丸にては一切の食膳にはお箸をおとりにならぬようお諫め申し上げていると存じまする」
家斉の右手が床を激しく叩いた。癇癪の発作だった。
「みの!」
「はっ」
「す、ず、り、すずり……」
家斉は口から泡をふいて云った。
硯をもって来いと命じたのだ。美濃守が笑いを抑えて畏った。
梨地蒔絵の硯箱は病床の家斉の前に置かれた。硯の墨をするのも、紙をひろげるのも、美濃守ひとりだ。三十五畳の居間には、誰ひとり近づけぬ。家斉は、戦《おのの》く手で筆をとった。
「一、」
と書いて、しばらく考えるように休んだ。半眼を閉じているが、眼蓋も唇も震えている。
美濃守も必死だった。祈るように家斉の筆先を見つめている。
その穂先は震えながら、紙についた。
「──右大将、将軍職に被成《なられ》候跡は……」
ここまで書いてきて一休みする。文字は歪み、ふるえている。痺れの残った右手は自由な文字を書くことが出来ない。
家斉は元来、能書家であった。しかし、今は見るも無残な文字である。
美濃守は、前に畏って息をつめている。これからが肝心な文句だ。
家斉は、一息ついた。床の上に腹匍《はらば》って書いているのだから、難儀な作業だった。
しかし、家慶への鬱憤は、一気にこの墨附を書かせる次第となった。額は癇癪筋が立ち、興奮で蒼褪《あおざ》めている。
二度目の筆が紙の上についた。
「……加賀宰相|斉泰《なりやす》嫡子松平犬千代丸を被成養子《ようしとなされ》、成人の暁は右大将跡目と決め候様……」
美濃守が心の中で、
(出来た!)
と喜びの声をあげたのは、
「………。家斉(花押)」
と最後の筆が終ったからである。
家斉は、筆を投げ出すとどたりと床の上に仰向きになった。荒い息をついている。いかにも疲れ果てた様子だった。
美濃守は、素早く、奉書をくるくると捲いた。余人には見せてはならぬ文字だ。手早く折って、用意の桐箱に納め、帛紗《ふくさ》で包む。
歓喜が美濃守の心を嵐のように吹いている。彼自身も、息が弾んだ。
「み、の」
横になった家斉が呼んだ。
べたり平伏して美濃守は見上げた。
「その、かみ、は、な」
家斉が、廻らぬ舌ながら妙に、しんみりと云った。
「よ、が、し、しんでから、ひらけ」
予が死んでから、その墨附は披《ひら》け、といっているのだ。文字通り、遺命であった。
「はっ、たしかに。しかしながら、大御所様の御寿命はまだまだ、鶴亀の如く万々歳にござりますれば、恐れながら、左様な……」
家斉は、うるさそうに首をふった。かれの眼からは、澄んだ泪が流れていた。