(ずいぶん、寂しい所ね)
鳥飼重太郎は、会社員が聞いたという言葉が、あたかも直接に自分が聞いたことのように、声が耳朶(じだ)に残った。
この短い言葉から三つの要素が分かる。
東京弁らしい調子の標準語だから、土地の者ではない。福岡県はじめ九州一帯はこんな言い方はしない。博多弁に例をとれば、〈たいそう寂(さみ)しかとこ(ヽヽ)ですなア〉と言うだろう。
この言葉の意味するとおりに、女にとっては、はじめて来た土地だったらしいこと。
したがって、男にそう言ったのは、同感を求める意味ではなく、この土地を知っている者に自分の受けた最初の印象をもらした口ぶりである。男がそれに答えずに、ぐんぐん道を先にすすんで行ったことが、さらにその感じを深める。
要するに、男は以前からここを知っている者であり、女はその男に連れられてはじめて来たと言えそうである。女は東京弁、しかも心中の死亡推定時間の直前(十時すぎに死亡したとすれば三四十分前、十一時ごろなら一時間半ばかり前。死亡推定時刻には二三時間の幅(はば)がある)である。おそらく、果物屋と会社員とが見たその男女が、心中の本人たちとみてまちがいはあるまい。
しかし、用心深く考えれば、これは決定的なことではない。なぜかというと、博多だけでも東京から来た人は何千人かいることだろうし、その時間に歩いていたことも、心中とは関係のない偶然かもしれない。が、そこまで深く考慮することはあるまいと鳥飼重太郎は思った。まず、彼らが心中した当人同士であろう。──
寒い風が吹いていた。うら寂しい商店の旗が揺れている。黒い空には、星が砥(と)いだように光っていた。
鳥飼重太郎は香椎駅に引きかえした。駅に着くと腕時計を見た。古い時計だが、時間は正確なのである。
ストップ・ウォッチでも押したような気持で歩きだす。うつむきかげんに、ポケットに手を入れ、用ありげに足を運んだ。方角はふたたび西鉄香椎駅である。風が彼のオーバーの裾をはたいた。
明かるい灯のある駅についた。時計を見た。六分が切れている。──つまり、国鉄の香椎駅と西鉄香椎駅との間を歩くのに、六分間を要しないことがわかった。
重太郎は思案した。時計を眺め、こんどは、また国鉄の香椎駅に向かってもどった。前よりは歩く速度を落とした。自分の靴音で、速度をはかっているような感じがした。
駅につくと、腕時計を見た。六分と少しかかっている。
重太郎は、それからまた、元の道を歩きだす。こんどはゆっくりとしたのろい足だ。ぶらぶらと左右の家を見ながら、散歩のような恰好だった。そんな遅い歩き方で西鉄香椎駅についてみると、八分ばかり要していた。
この三度の実験でわかったことは、国鉄の香椎駅と西鉄の香椎駅の間は、普通に歩けば六分乃至(ないし)七分間で行けるということなのだ。
──国鉄香椎駅で降りて、果物屋が見た男女は九時二十四分である。会社員が見た西鉄香椎駅の男女は、九時三十五分の電車の降車客といっしょだったというから、十一分間の開きがある。この男女が同一人とすれば彼らは、国鉄香椎駅から西鉄香椎駅まで来るのに十一分も要したことになる。
これは、いったい、どういうことなのか、と鳥飼重太郎は考えはじめた。どんなに、ゆっくり歩いても七分ぐらいしかかからない所を、十一分もかかったというのは。──
ここで、会社員の言葉が頭に浮かんでくる。(その男女はあとから私を追い越し、かなり急ぎ足で先に行きました)
そうだ。その足なら、五分もかからないくらいだ。十一分の余りは、どう解釈したらよいか。
途中で用事があったのか。たとえば買物など。
果物屋の見た男女と、会社員の見た男女は同一人ではなく、別人か。
この二つの場合は、どちらも考えられることだ。
の場合は、はなはだ可能性がある。の場合は、全然、時間的な開きには問題がなくなる。じっさい、この二組の男女が、同一人だったという証明は、何もないのである。類似点は、男のオーバーと女の和装だけではないか。顔もわからなければ、着物の柄もわかっていない。
すると──と重太郎は、ここでまた考えた。
佐山憲一とお時だとすれば、会社員の見た西鉄香椎駅の男女が、もっともそれに近い。女の言った言葉が強く彼をとらえるのである。
だが、それかといって、国鉄香椎駅の男女が、まったくの別人だとも言いきれなかった。の場合だって、十分考えられることなのだ。重太郎は、この二つの駅の男女が同一人だという考えをすぐに捨てきれなかった。
結局、はっきりした解釈がつかないままに、彼は博多にもどり、家に帰って寝た。──
翌々日、署に出てみると、二つの電報が重太郎あてに来ていて、机の上に待っていた。
彼は一通をひらいた。
「ケンイチハハカタニタビタビシュッチョウシタコトガアル。サヤマ」
つぎにもう一通を見た。
「ヒデコハハカタニイッタコトナシ」
重太郎が香椎駅から打った電報の返電で、一通は佐山憲一の兄の支店長から、一つは、お時本名桑山秀子の母からのものである。
これでみると、佐山憲一はたびたび博多に出張したことがあるというから、いわゆる土地カンはあった。お時はまったく博多に来たことはないらしい。
鳥飼重太郎の目には、ずいぶん寂しい所ね、と言う女を、黙って海岸の方へ急ぎ足で連れて行く男の、黒い影のような姿が浮かんでいた。