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警視庁に三原が帰ったのは、夜の八時ごろであった。主任の笠井警部は帰ったあとでいなかった。
机の上にインク瓶を押さえにして、電報がおいてある。三原は、あんがい早く来たな、と思った。彼は立ったまま、すぐにひらいた。思ったとおり、北海道の札幌中央署からで、問い合わせにたいする返事であった。
「フタバショウカイノカワニシノショウゲンニヨレバ、一ガツ二一ヒ、サッポロエキニテヤスダニアッテイル。二一ヒ、二二ヒ、二三ヒ、ヤスダハ〇ソウニトマッテイル」
半分は予期したことだが、三原は落胆をどこかにおぼえて椅子に腰をおろした。
(札幌の双葉商会の河西という男は、一月二十一日に駅で確かに安田と会っている。二十二日・二十三日も、市内の丸惣旅館に彼は滞在している。──安田が言ったとおりだったな)
三原は煙草をとり出して喫った。部屋には誰もいない。ぼんやり考えるには都合がよかった。
この返電の結果は予想したとおりであった。安田の答弁と食い違うのが嘘なのだ。すぐにシリの割れることを安田が言うはずがなかった。すると、彼はやはり二十一日に北海道に到着していたのだ。二十日は、九州で佐山とお時とが情死を決行した夜であり、二十一日朝はその死体が発見された。その時間、安田は北海道に向かう急行《十和田》の列車の中であった。それでなければ、札幌駅で双葉商会の河西という男と会えるわけがない。
しかし三原は、安田が東京駅で四分間の巧妙な間隙を狙って、佐山とお時の出発に第三者の目撃者をつくったことが頭から離れなかった。その目的はまだ分からない。分からないだけに、二十日(その夜、佐山とお時は情死)から二十一日(その朝、死体発見)の両日にかけて、安田の行動を九州になんとなく結びつけている。いや、そうしたがっている気持を、自分で執拗だと意識している。だが、現実は、安田は九州とは逆に行動をしていた。西へ行かずに、北に行った!
(待てよ。逆の方向に行ったのが、おかしいぞ)
三原は二本目の煙草に火をつけた。逆に行ったことに何か安田のわざとらしさがあるような気がした。例の四分間と同じ作為の匂いがする。
三原は、思いついて、引出しから佐山の一件の調査書類のはいった袋を取り出した。それは福岡署の鳥飼刑事が、非常な好意で揃えてくれたものだ。彼は久しぶりに鳥飼重太郎の痩せた頬と、目尻の皺を思い浮かべた。
佐山とお時の情死──佐山とお時とが青酸カリを服毒した──は一月二十日の午後十時と十一時の間である、と死体検案書は推定していた。
三原は、備えつけの時刻表を持ってきて繰った。その時刻、急行《十和田》は常磐線に沿い、古跡で名高い勿来(なこそ)から平(たいら)を過ぎ、久(ひさ)ノ浜(はま)、広野(ひろの)あたりを走りつづけているところであった。
つぎに試みに、死体の発見された二十一日朝の六時半ごろを見ると、列車は岩手県の一戸(いちのへ)駅を発車したばかりであった。安田がこの列車に乗っていると、九州香椎の海岸の出来事とは、まったく時間的にも空間的にも隔絶されている。
三原は、こんなことを思っているうちに、自分の時刻表の見方が、安田の妻が雑誌に書いた考えに似ているのに気づいて、苦笑した。
その妻は、安田が時刻表に見なれていると書いている。見なれているということは、精通している意味に発展しないか。
(何かありそうだ。汽車の時刻を利用したアリバイではなかろうか?)
アリバイというのはおかしい。安田は東京にいなかったことを確認しているからだ。この場合のアリバイは、安田が「九州に行っていなかった」という不在の証明である。
三原は、また電報をとり上げ、繰り返して読みおわると、指の間に紙の端をもてあそんだ。この電文を信頼しないわけではない。事実はこのとおりであったに違いない。しかし、表通りから建築の正面を眺めるような感じがしていた。建築のどこかに見えざる工作がほどこされているような気がした。
(北海道に行ってみよう)
組み立てられた建築の不正の部分を発見するには、いちおう、それを叩いて調べねばならぬ。三原は一つ一つに当たり、どんな反応があるか、自分で確かめようと決心した。
翌朝、三原は、笠井主任の出勤するのを待って、その机の前に立った。
「札幌から返電がありました」
彼は電報を主任に見せた。主任は読みくだして、
「安田の言ったとおりだね」
と言って、三原を見上げた。
「はあ」
「まあ掛けてくれ」
主任は、三原が長い話をしたそうにしていると思ったのか、そう言った。
「じつは、昨日、鎌倉に行きました。主任はお出かけのときでしたが」
「そうそう。君の書いたメモを見た」
「安田の細君に会いに行ったのです。安田が言っていることの裏づけを調べに行ったのですが、やはり細君というのは肺結核で寝ていました」
「すると、安田の言うことは、みんな信憑性(しんぴようせい)があるわけだね」
「まあ、いちおうそうです。しかし、ちょっとおもしろいことがありました」
三原は、ここで安田の妻の書いた文章を医者から見せてもらったこと、その中に安田が鉄道の時刻表に精通しているらしいことが書かれてあったことなどを話した。
「なるほど、それはおもしろいね」
主任は机の上で両手を組んだ。
「例の東京駅の四分間の作為に通じるね、それは」
「私もそう思います」
三原は、主任が乗り出してくれたので、元気づいて言った。
「四分間の目撃者を安田がつくった作為は、佐山課長補佐の情死に、彼が何かの役割を演じているという印象に強くつながります。これはカンです。何かわかりません。しかし、何かがかならずあります」
それは、その情死に犯罪を直感するという意味であった。
「そのとおりだ」
主任は、すでにその意見であった。
「それで、これから北海道へやらせていただきたいと思うのです。安田が、情死の当日、北海道に向かっていた(ヽヽヽヽヽヽ)ということが、どうも肚におさまらない。札幌中央署の報告は信じるとしても、何か企まれた事実のような気がするのです。この企みを発見した時が、なぜ安田が、東京駅で佐山課長補佐の出発に第三者の目撃者を必要としたか、という謎を解いた時と思います」
主任はすぐに返事をせずに目を逸(そ)らせて考えていたが、
「よかろう。ここまで来たのだ。とことんまで追って見たまえ。課長を僕が説いてみる」
とぽつりと言った。その言い方が少し変だったので、三原は主任の表情を思わず見つめた。
「課長は、この捜査には反対なのですか?」
「反対というほどではないが」
主任は言葉をぼかした。
「情死と分かっているものを、深追いしても無意義じゃないかと言ったことがある。その意味で積極的でなかった。が、心配しなくてもいい。僕が説く」
笠井主任は、三原をなぐさめるように微笑した。