安田のたくらんだ《まりも》の設定はこれで打破したと三原は思った。つぎにはこれを証明しなければならぬ。彼はその方法を紙に心おぼえをした。
──日航の事務所にきいて、一月二十一日の福岡発の八時の便を予約し、さらに東京から札幌までの十三時発の乗りつぎを予約した者の名前を知ること。
これを考えて三原は(待てよ)と思った。安田は二十日の上野発十九時十五分の《十和田》で青森に出発したと言っているから、彼はかならず二十日の午後までは東京にいたに違いない。あとから調査されることを予想している彼のことだから、二十日にまるで東京を留守にしているような不用意をするはずがない。事務所かどこかにかならず顔を見せているであろう。すると二十日の午後から汽車で博多に行ったのでは香椎の現場に間にあわないから、これも飛行機を利用したに違いない。──三原は日航の時刻表をまた調べた。東京発十五時、福岡着十九時二十分という最終便があった。羽田まで車で飛ばせば三十分で行ける。安田がよそをまわって上野駅に行くからといって、二時すぎに事務所かどこかを出て行っても少しもおかしくはないのだ。
そこで、安田が利用したと思われる飛行機と汽車と、その推定行動を書いてみた。
20日 15:00 羽田発→19:20 福岡板付着
(この間、香椎に行き、福岡市内に一泊したと思われる)
21日 8:00 板付発→12:00 羽田着
13:00 羽田発→16:00 札幌千歳着
17:40 札幌発(普通列車)→18:44 小樽着
19:57 小樽発(まりも)→20:34 札幌着
(札幌駅待合室にて,河西と会う)
21日、22日、23日市内丸惣旅館に宿泊、帰京。
(できた)
と三原は思った。何度もこれを見なおしているうちに、ふと一つの疑点が浮かんだ。
(なぜ、安田は河西に、札幌駅の待合室で待っているように電報で命じたのであろうか?)
安田は、小樽から《まりも》に乗ったのであるから、ホームに河西を出迎えさせておいた方が、確実に自分が列車から降りたところを彼に見せつけて、効果はより有力なはずである。が、それをきらうかのように、わざわざ待合室を指定した理由はなんだろう。
安田ほどの周到な男だから、何かの理由があったに違いない。それはなんだろう。三原はいろいろと考えたが、どうしてもわからなかった。
まあ、いい、それは後まわしとしようと思った。そこでこの行動を証明する方法だが、
日航で当日の名簿を調べること。──それに付随して、安田を羽田まで運んだ自動車(タクシー)、板付(いたづけ)から福岡市内、千歳から札幌市内に安田が乗ったバスか自動車を調べることだが、これは日時が相当たっているので困難であろう。
福岡市内に安田が宿泊した旅館の捜査。
札幌から小樽までの普通列車内で安田を見た者。小樽では《まりも》が到着するまで一時間七分の待ち合わせ時間があるので、この間安田を目撃した者。
証明の方法はだいたいこんなことであろうと思った。このうちはもっとも期待が持てない。なんといっても、キメ手はとであった。
三原は支度(したく)をすると警視庁を出た。外はあいかわらず明かるい。銀座も人の歩きが多かった。もう陽が強いので、人の顔が真白であった。
日航の事務所にはいって、国内線の旅客係に三原は会った。
「一月の旅客者名簿というのが残っていますか?」
「今年の一月ですね。ございます。一年間、保存していますから」
「一月二十日の三〇五便を福岡まで予約し、二十一日の三〇二便を東京まで、さらに東京から五〇三便を予約した人の名前を知りたいのですが」
「同じ人ですか」
「そうです」
「ずいぶん、いそがしい人ですね。そういう例は少ないですから、すぐわかります」
係は旅客者 名簿(パツセンジヤー・リスト)というのを持ち出し、一月二十日のところを開いた。この便は大阪に寄るが、福岡までの乗客は四十三名であった。二十一日、福岡からその便で羽田に来た客は四十一人、羽田から十三時で札幌に行った客は五十九人であった。この三つの旅客者名簿の中には、安田辰郎の名前はなく、また同一名の重複はなかった。
安田は、むろん偽名して乗ったであろうからないのは当然として、三つの旅客機の乗客の中に、同じ名前が見あたらぬので三原は愕然とした。総計百四十三名の名前はことごとく違っていた。
そんなはずはないのだ。
「乗客の申し込みは当日では乗れないでしょうね?」
「前日でも困難です。三四日前に予約していただかないと、指定の機には乗れません」
安田にとっては、東京・福岡の二十日の三〇五便、福岡・東京の二十一日の三〇二便、東京・札幌の五〇三便というのは絶対であった。これが狂うと、彼はその日の《まりも》に乗れなくなるのだ。この三つの飛行便の確保は、かならず一人で三四日前に予約したに違いないのだ。偽名でも、当然に三つの旅客者名簿に同じ名前がなければならない。それが丹念に調べてみてもないのである。
「どうもありがとう。しかし、これを二三日貸してください」
三原は名刺に預り証を書き、名簿を借りた。彼は外に出た。すっかり憂鬱(ゆううつ)になっていた。来るときの元気はなかった。途中で、三原はなじみの喫茶店に寄りコーヒーをのんだ。飲みながらも、思考は彼にまつわりついていた。わからない。そんなはずはない、そんなはずはないといつまでも繰り返していた。
喫茶店を出ると彼は警視庁の方へ歩いて行った。日比谷の交差点では赤信号が出ていて、長々と待たされた。目の前を自動車の流れがはしってゆく。なかなか信号が青にならなかった。
いろいろな型の自動車が走ってゆく。三原は興味のないその流れを見てぼんやりしていた。退屈だから頭脳の思考が働いたのかもしれなかった。彼は口の中で、あっとつぶやいた。
なんといううかつさだろう。名前は一人(ヽヽ)の必要はなかったのだ。べつべつな名前で予約を申しこんでもよいではないか。安田は自分で日航事務所に行かずに、べつべつな人間を使いにして申しこんだであろう。Aの名で福岡に行き、Bで翌朝福岡から東京につき、Cで札幌行の機に乗りかえる。羽田では一時間の余裕があるから、それは悠々とできるのだ。
残った人間が一人だから、一つの名前で通したと思いこんでいたのが錯覚であった。どうして早くこれに気がつかなかったのか。三原は人目がなかったら、自分の頭を拳でなぐりたかった。どうも頭が硬化しているぞと思った。
信号は青になった。三原は歩きだした。
(そうすると、少なくとも三つの偽名がこのリストの中にある。それが安田辰郎の分身なのだ。よし、このリストの中の名前を一つ一つ当たってみよう。かならず名前も住所も架空のものが出てくるはずだ)
三原は歩きながら目をあげた。はじめて勝利の攻撃路が見えた。