目まぐるしいまでに、和子の脳裏にさまざまなことがなだれこみ、通りすぎていった。
――死ぬのだ。車にひかれて死ぬのだ! 和子はふるえた。
――こんなことになるのなら、もっと寝ていればよかった。寝不足でぼんやりしていたものだからこんなことになったのだわ! だがもうおそかった。和子はあのベッドの中のこころよい暖かさを祈りをこめて思わずにはいられなかった。むろん、そうした思いも瞬時のこと――やがて和子に迫ったトラックの巨大なタイヤの回転が、アスファルトの道路を無気味に震動させてきた。さらに、さらに強く和子は目をとじた。
――もうだめだわ!
だが、二秒たち、三秒たち、十秒たってもなにもおこらなかった。
どうしたのかしら? 和子は目をとじ意識を失った。
いつのまにか、暖かい感触が――死の前にかの女が望んだ、あのベッドの中のやわらかい安らぎの感覚が、自分の周囲によみがえっているのを知った。
おどろいてかの女は目をあけた。朝の光が、レースのカーテンごしにへやの中にさしこんでいた。そして、かの女はまだネグリジェを着たままベッドの中にいた。自分の寝室だった。
夢だったのだ――和子はそう思いこもうとした。
だが、ほんとうにそうだったのだろうか? 夢にしてはあまりにもその記憶はなまなましかった。車の警笛、浅倉吾朗の悲鳴、通行人たちの叫び声、それらははっきりと、いまもかの女の耳に残っている。ちがう、あれが夢であるはずがない。
和子の頭は急に痛みだした。
とけいを見ると七時半だった。ゆっくりと朝食をして、じゅうぶん学校にまにあう時間である。さっき目をさましたときはもっとおそかったのだ。だからこそ、ああてて家をとびだしたのだ。そのために、トラックにひかれそうになったのではないか! とすると、やはり夢だったのだろうか? ……あれが夢でないとすると時間が逆もどりしたことになる……そんなバカなことってあるはずがない!
和子は、のろのろとベッドに起きあがった。
家の中のようすはふだんとかわらない。母も妹たちも、いつもと同じように、にぎやかに朝食をとっていた。
食欲はさっぱりなかった。和子はすぐに家を出た。
――これで二度めだわ。かの女はぼんやりとそんなことを思っていた。これ以上おかしなことが起こったら気がくるってしまう、とも思った。家を出て、大通りへきて、交差点にさしかかる。すべて二度めである。だが、今度は吾朗には会わなかった。そして、信号を無視した暴走トラックらしい車もなく、和子はぶじに学校の門をくぐった。
教室の友だちの中から、浅倉吾朗の姿を見つけだそうとしてきょろきょろとながめまわしたが、吾朗はまだ登校してきていないようすだった。吾朗に会えば、トラックにひかれそうになった経験が、夢なのか現実だったのかがはっきりするのだ。
「やあ、おはよう」
背後から声をかけてはいってきたのは深町一夫だった。
「あら、おはよう」
そう答えてから和子は、かれにけさのふしぎな一件を話そうと思った。一夫なら頭もいいし考え深いから、なにか自分をなっとくさせてくれることばを与えてくれるだろうと思った。しかし、吾朗がやってきてから三人そろったところで話したほうがなおいいと、思いなおした。
「どうかしたの? 顔色がよくないぜ」
一夫がいった。こまかいことによく気のつく性格である。
「ううん、なんでもないわ」
かの女は軽く首を左右にふってみせた。
「ゆうべのあの地震と火事のさわざで眠れなかったもんだから、ちょっと睡眠不足ぎみなの……」
和子がそういうと、一夫はいかにもびっくりしたという表情で、かの女の顔をまじまじと見つめた。
「へええ、ゆうべ地震や火事があったのかい? ちっとも知らなかったなあ」
「じょうだんじゃないわ!」
今度は和子のほうが、びっくりして叫んだ。
「大きな地震があって、それから浅倉さんの家が火事になりかけたじゃないの! それに、わたしたち、浅倉さんの家の前で会ったじゃないの!」
「な、なんだって? ぼくと君がかい? ……君、夢でもみたんじゃないのか!」
――夢? 夢ですって?
和子はばうぜんと、一夫のととのった顔を見つめた。