ちょうどそのとき、ぐあいのいいことに、ふろ屋のすじ向かいの米屋の若い衆で、新ちゃんという青年が、洗面具を持ってふろ屋から出てきた。かれは、裏口からあがっている火の粉に気がつき、一瞬立ちすくんでから、持ちまえの大声を、しかも、のどが破れるほどはりあげてくれたのである。
「か、火事だ! 火事だぞう!」
たちまち、あちこちの店の裏口や、表の雨戸をあけて、近所の人が集まってきた。
「消防署へ電話しろ! だれか!」
「いま、しにいったらしいですよ」
「火事はどこだ!」
「ふろ屋の台所よ!」
すぐに消防車はやってきた。警官が、やじうまたちの整理をはじめた。和子は、もの見高い人間たちの多いこと、やってくるのが早いことにあきれてしまった。
「芳山君、君の予言が的中した!」
家から出てきた浅倉吾朗が、目ざとく和子を見つけて走りよってくると、あおい顔をして叫んだ。
「やっぱり芳山君のいったことは、ほんとだったんだ」
いつのまにやってきたのか、和子のうしろに深町一夫も立っていて、静かにそういった。かれの顔も、こころもちあおかった。
「あらっ! 深町さん!」
和子は、一夫の着ているパジャマを見て、けさのかれとの会話を思い出し、少し大きな声をだしていった。
「あなた、パジャマは持っていないはずじゃなかったの?」
一夫は、ちょっともじもじした。それから小さな声でいった。
「うん、それがね、ぼくはゆうべまで、寝まきばかり着ていたんだ。ところがきょう寝る前におかあさんがこのパジャマを出してきて、今夜からこれを着て寝なさいっていうんだ。寝まきが小さくなったからと思って、きょうの昼間、買ってきたらしいんだよ」
一夫と吾朗は、じっと和子を見つめた。
「やっぱり、芳山君には、予言する力があったんだなあ」
吾朗が感心したようにいった。和子は首を左右に振った。
「予言なんてものじゃないわ。もっとふしぎな力なのよ。わたし、自分でもおどろいているの。でも困っちゃったわ……」
「なにが?」
「こんなおかしな能力を持っているってことが困るのよ。このままだと、いつまた、時間をとび越えて逆もどりすることになるかわからないでしょう? それに、また苦労して、きょうみたいにあなたたちに説明しなくちゃならないんだもの」
「いや、もうその心配はいらないよ」
吾朗は目を見ひらいて、はげしくかぶりを振った。
「ぼくはもう、芳山君の能力を信じてるからね」
きゅうに一夫が笑いだした。
「でも、きのうやきょうの昼間なら、いくら説明したって、君は信じないはずだよ」
吾朗はしぶい顔をした。
「あ、そうか……。それはそうだが……」
和子は吾朗の混乱を、笑う気にはならなかった。
「いやだわ、こんなおかしなことになっちゃって……。なんとか、もとどおりにならないかしら」
吾朗が、また顔をあげた。
「でも、君のその能力は……ええと、なんていったっけ?」
吾朗は一夫を見た。一夫はいった。
「テレポーテーションだ」
吾朗はうなずいた。
「そうだ。そのテレポーテーションという力は、貴重な能力なんだよ」
「そうかもしれないけど、でも、わたしだけにそんな力があるなんて、いやだわ。だって、ほら、あなたたちがいまわたしを見てる目つきって、以前の目つきとはちがうわ。まるでわたしが、人間でないみたいな……」
「神経質になるなよ」
一夫が苦笑した。
「だって、そうなんですもの!」
和子は、ややヒステリックに叫んだ。
「みんなが、わたしのこの能力を知ったら、きっとわたし、人間でないみたいに思われるにきまっているわ!」
「まあ待ちたまえ」
一夫は、しだいに興奮してくる和子をなだめるようにいった。
「まだ、君にそんな能力があると、きまったわけじゃないさ。君の話だと、逆もどりはまだ一度しか起こってないんだろう? だったらそれは、偶然一度だけ起こったのかもしれないし、また君にその能力があるとしても、一度だけの能力かもしれないじゃないか」
「そうね。でもやっぱり、いつまた自分が、時間を逆もどりするかわからないなんて、いやだわ」
和子はそういって、くちびるをかんだ。
そのうちに火事も消え、やじうまたちも帰りはじめたので、三人は、相談するのをあしたにのばし、ひとまずめいめいの家に帰った。
和子はその夜、ベッドの中で考えた。
――だれかに、相談しょう。先生に相談しょうか? どの先生がいいだろう? わたしの話を、まじめに聞いてくれる先生がいるだろうか? 信じてくれるだろうか?
いつのまにか眠ってしまったらしい。日がさめたとき、いつものようにレースの影を床に落とした朝の光がへやにみちていた。そうだ! 和子はあわてて、ベッドの上に起きなおった。
きょうは十九日の水曜日。遅刻しそうになってあわてた和子と吾朗が、横断歩道で、あの、信号を無視した大型トラックにひかれそうになる日ではないか!
――しまった。どうしてゆうべのうちに、吾朗にひとこと注意しておかなかったのだろう。けさになるまで気がつかなかったなんて……。
とけいを見て、まだまにあいそうだと知ると、和子はいそいでしたくをし、朝食もそこそこに、家をとび出した。