祖父母は小さい町工場を経営していて、わたしは祖母に連れられて小学校時代の夏休みや冬休みの大半をそこで過ごした。祖父母がそれぞれの仕事でかまってくれなくても社長室の神棚の下に置かれた古い勉強机に座り、作業している祖父の背中を見ているだけで楽しくてしょうがなかった。
祖父は普段は無口で厳しい人だったが末っ子のわたしをとても可愛がってくれた。小さいわたしを膝の上に乗せ、作業しているところをよく見えるようにしてくれながらぽつりぽつりと昔旅行したときの話や、満州に住んでいた頃の話をしてくれた。わたしはそんな時間が大好きだった。
祖父に癌が見つかったのはわたしが小学校の高学年になった時だった。入院してしまった祖父の病室にわたしはしょっちゅう遊びに行き、一緒にテレビを見て過ごした。祖父はベッドの上でもたくさんのことを教えてくれた。
心配した手術は成功したけれど、それからも祖父は再発を繰り返した。つらかったはずなのに、祖父は退院するたびに工場で仕事をしていた。一回り小さくなった背中が必死に作業するのを見るのがつらくて、わたしはだんだん工場にいかなくなった。
中学校に入った頃にとうとう病気がもうどうしようもなくなって、あんなに大好きだった工場を閉めて、祖父は病院のベッドから起き上がれなくなった
うとうとすることが多くなって、家族の識別をすることすら難しくなった。わたしは何もできなかったから、やっぱり祖父のベッドの横に座って、見えているかわからないテレビを一緒に見た。
ちょうどその日は祖母と母が買い出しに出かけていて、わたしは寝ている祖父の横で一人文庫本を読んでいた。
ちーちゃん、と祖父が呼ぶのが聞こえて、わたしはびっくりして文庫本を落としてしまった。二人姉妹の年の小さい方だから、ちーちゃん。祖父にその名前で呼ばれるのは久しぶりで、なぜだか泣きそうになった。
ちーちゃん、来たのか、と祖父はうとうとと微笑みながら言った。うん、来たよ、と答えて慌てて手を握ると、ちーちゃん、と祖父がゆっくりともう一度呼んだ。なぁに、と無性に出てきそうになった涙をこらえて返事をするとそれを見透かしたかのようにちーちゃんは泣き虫だから、と祖父は言った。ちーちゃんが泣いてるんじゃないかっておじいちゃん心配なんだよ、と。
ちーちゃん、つらい時は笑いなさい、と祖父は言いながらぎゅっとわたしの手を握り締めた。つらくても笑っていればちゃんといいことががあるから、だから、約束だよ、笑ってなさい、と祖父は繰り返して、わたしは何も言えずにただ泣かないように必死だった。
それから少しうわごとのように話した後、祖父はうとうととして、それから一ヶ月もしない間に亡くなった。泣き虫だったわたしは、葬儀で家族が泣き崩れる中、一度も泣かなかった。
つらいことがあると今でも思い出す。工場で作業する祖父の膝の上に乗っていた幸せだった時を。約束だよ、と心配そうに握られた手の感触を。どんなにつらくてもおじいちゃんが心配するから泣いてたまるか、と思う。歯を食いしばって頑張れる。
おじいちゃん、今日も頑張ってるよ、とわたしは笑う。
笑った先で、きっと本物の笑顔のわたしが待っている。そう、信じて。