ヘルパーさんにそう言って、祖父は大笑いしたそうだ。祖父八十歳。数年前とは大きな変わりようだ。
祖母は六十一歳の時に亡くなった。祖母が亡くなって以来、祖父は一人暮らしをしている。寂しさからか、食事の回数も量も減り、近頃は肺炎を起こしかけてしまったと、ヘルパーさんからの連絡を受けたのは、祖父七十六歳の時。駆けつけると、祖父の体は痩せ、生きる気力も無くしかけているようだった。
「もう、俺もそう長くはないな…」
口に出る言葉は弱気なものばかりだった。
孫である私としては、祖父には体の衰えはともかく、気力だけは強く持っていてほしいと切に思うのだった。
その十日後に、祖父七十七歳の誕生日が控えていた。
私は生前の祖母との約束を果たすため、準備にとりかかった。生前の祖母から預った祖母の刺繍入りベストを箱に詰め、ラッピングをし、祖母の名前で祖父宛てに、祖父の誕生日に届くように小包を贈る手配をした。この作業をするのは、これで三度目だった。一度目は祖父が七十歳になった時に祖母の刺繍入りパジャマを、二度目は祖父が七十七歳になった時に祖母の刺繍入り膝掛けを、祖母の名で私が祖父に贈った。
大病を患い、先が長くないと悟った生前の祖母は、『お父さん、お誕生日おめでとう。古希(喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿、百賀)のお祝いです』という直筆のメモ七枚と、自分で刺繍を施した祖父への七つの贈り物を孫の私に託して、天に昇った。
「おばあちゃんはおじいちゃんの誕生日を一緒に祝うことができないかも知れないからあなたがこのプレゼントをおじいちゃんに贈るのよ。いいわね、約束よ」
その時の私はまだ高校生で、その意味合いが全くわかっていなかったが、とにかくこの祖母との約束は必ず守ろうと心に誓った。
初め、祖父は祖母の名前で小包が届くことに戸惑いを感じていたらしい。しかし、古希を迎えた翌日の朝は、いつも目覚めの早い祖父がはじめて朝寝坊をしたと、ヘルパーさんが話してくれた。
「やけにぐっすり眠れたんだよ、今日は」
疑念を感じつつプレゼントの包みを開けた祖父だったが、それが間違いなく祖母の刺繍であることを確認すると、その晩、さっそくそのパジャマを着て眠りについたという。自分に対する祖母の温かい想いが込もったパジャマに包まれながらの眠りは、よほど心地良かったのだろう。
ちなみに、その翌年、翌々年は何も届かないとがっかりしていたらしい。そして、七十七歳の喜寿が来ると、また、祖母の名前で小包が届いた。この辺りで要領がつかめたらしい。
八十歳になる前日には、
「明日は宅急便屋さんが来ると思うから、来たら荷物を受け取っておいてね」
と、ヘルパーさんに祖父が頼んだという。
祖父は祖母からの贈り物を心待ちにしている。そして、先の発言である。《どこまで用意してあるのか見届けたい》と思うまでに変化している。一日でも長生きしたいと思えるようになったようだ。
祖母は私との約束に、ここまで計算していたのだろうか?とにもかくにも、祖母は亡くなった後もこうして祖父に生きる喜びを与え続けている。
祖母との約束を通して私もその一助を担えていることが、今嬉しい。まだまだ米寿、卒寿、白寿、百賀の祝いが残っている。祖父には最後の最後の贈り物まで見届けてもらいたいと思っている。なにせ、百賀のお祝いのプレゼントを渡すことまでが、私と祖母との約束なのだから。