年齢差は十二才。もちろん、血のつながりはない。いつからか、幸ちゃんは私を「お母さん」と呼ぶようになった。だから、彼女は私の子供だ。
中学を卒業したばかりの春休み、幸ちゃんはたった一人で、私が勤務するタイのリゾートにやってきた。彼女の初めての海外旅行である。
フランスの企業が経営するリゾート施設は、旅行代金を最初に支払ってしまえば、食事もショーもスポーツプログラムも無料である。広大な敷地の外に出ることなく、バカンスを過ごすことができた。スタッフとして働いているのは、世界各国から集まった若者たちで、ゲストの遊び相手も務める。
日本人ツアー客はハネムーンのカップルや海外在住の家族づれが多く、一人でやってくるケースは珍しい。ましてや幸ちゃんは、たったの十五歳である。私たちスタッフの目を引いた。
「よくお母さんが許してくれたね」
「お姉ちゃんがいるから。ママはもし私に何かあっても、もうひとり子供がいるから平気なんだって」
幸ちゃんはけろりとして言う。会話の中に裕福ながら複雑な家庭事情も見え隠れした。
なにが気に入ったのか、私がそのリゾートにいた十ヶ月のシーズン中に、幸ちゃんは三度もやってきた。その後も私が他のリゾートへ異動するたび、幸ちゃんはお土産のインスタントラーメンをスーツケースに詰め込み、やっぱり一人でやってきた。欲しいものがあれば今度持ってくると幸ちゃんに言われたとき、私はサンパツバサミをリクエストした。シーズン中は美容院に行く暇もない。自分たちで切ろうと思った。海を見渡すバルコニーは、即席のオープンエア美容室になり、幸ちゃんのハサミは潮風のなかで小気味のよい音をたてた。
最初は自分のルームキーをフロントでもらうのさえ英語で言えずにいた彼女が、日本の高校を辞め、アメリカに留学した。さらにアメリカの大学在学中にフランスへ留学した。私は職場結婚し、帰国後は四度引っ越しをした。彼女はそのたびに私を訪ねてきてくれた。あまり頻繁に引っ越すので、幸ちゃんが言った。
「どこに引っ越しても絶対連絡先を知らせて。黙っていなくなっちゃ嫌だよ。約束だからね」
なぜ、彼女は歳も離れた私をあれほど慕ってくれたのだろう。
十代の女の子は変化が激しい。幸ちゃんは会うたびにきれいになる。つやのある頬に化粧をし、服装もぐっと大人っぽくなった。英語やフランス語はとっくに私より上手い。そんな子供がまぶしく、誇らしく、どこかで気後れした。取り残されたような淋しさが理由なのかもしれない。最後の引っ越し先を私は幸ちゃんに告げなかった。
いつでもこちらから連絡は取れる。そう思っていた。なんでもないはずだったのに、過ぎた時間は案外重く、私を押さえつける。あれから十年、連絡は途絶えたままだ。
幸ちゃんはいま三十四歳、どこにいるのだろう。もう結婚しただろうか。花嫁姿を見逃したのだとしたら、母親としてはとても残念だ。約束、守れなくてごめん。だけど、幸ちゃんのこと、忘れてないよ。
南の島で撮った写真のなかの彼女は、水面に揺らぐ光の照り返しに目を細めて笑っている。その柔らかい頬がいまでもふっくらと幸せでありますように。
幸ちゃんのくれたサンパツバサミで前髪を切るたびに、私はそう願う。