たしかあれは、小学校三年生のお正月。その年の春に、私は四年生に上がった。毎年お正月には、おばあちゃんのところへ遊びに行き、おじいちゃんの運転する車でいろんな場所に連れて行ってもらう。その約束をしたのは、ちょうど車に乗ってどこかへ向かう途中だった。一旦話がとぎれて、次の話を切り出したのは、お母さんだった。『なっちゃんなあ、クラスの男の子らにいじめられとんの。』その瞬間、車内はシンとなったのを今でも覚えている。その年の私のクラスは、学年の問題児が勢揃いしていた。皆の予想通り、クラスではいじめが絶えなかった。いじめるターゲットは、日替りランチのように毎日違っており、私の場合、四回標的となった。けれどそのときの私は、それが深刻なものだと考えていなかったので、お母さんの言葉にドキッとした。この沈黙を破ったのは、おばあちゃんだった。おばあちゃんが口を開くまで、少し時間があったように思う。おばあちゃんは私にこう言った。『その子らが変なこと言うてきたら、アホが何か言うとると思ったらええ。』ここまでは、家で母が私に言ったこととまったく同じだった。しかし、この次の言葉で、おばあちゃんはやっぱり違う、さすが母の母だと私は思った。『でもな、本当に耐えられやんようになって、もう死にたい思たら、ばあちゃんに言うておいで。ばあちゃんも一緒に死ぬから。』この言葉を聞いたとき、自分の頭がジーンとなったのがわかった。私はうんと声を出すこともできず、黙っておばあちゃんと指切りげんまんをした。そしてまた、車内はシンと静まり返った。
私の記憶はそこで終わっており、その後、皆でどこへ行って何をしたのかは覚えていない。ただ、おばあちゃんとの約束だけが頭の中をぐるぐると回っている。おばあちゃんはなぜ、この言葉を選んで私に言ったのだろうか。この記憶がよみがえるたびに、私は疑問に思う。以前、親戚の葬式で『なっちゃんがもしおらんようになったら、皆が悲しむんやに。ばあちゃんがいくら泣いても、なっちゃんは帰ってこやん。やから、自分の命を大切にしやなあかんに。』と、おばあちゃんが私に言ったことがある。おそらく、この言葉がおばあちゃんの本望なのだろう。でも、私の人生は私自身がコントロールするものである。そして「自ら命を絶つ」ということは、自分の大切な人までも、私の場合、大好きなおばあちゃんも失ってしまう。自殺はこのくらいの覚悟が必要なのだ。最近まで、新聞やニュースで毎日のように、学生の自殺が取り上げられていた。私はニュースを耳にするたびに心がすごく痛んだ。死ねば、自分はとても楽になる。もう何も残らないから。でもこの世に残された家族や友人は、一生自分の死を背負って生きていかなければならない。改めて考えると、『命』はこんなに重たいものだったのかと気づく。私だけでなく、周りの皆にも気づいてほしい。
おばあちゃんは今、私とした約束を忘れているだろう。もう、八年も前のことだから。けれど、私がもし『いじめられとんのやけど』と相談すれば、おばあちゃんはきっと、また同じことを私に言って、そして、また二人で指切りげんまんをするだろう。