近年は、両親共働きの家族がほとんどだ。家族全員そこって夕食を食べることも、簡単ではないのかもしれない。ゆっくり会話を楽しむ時間をつくるなんて、もっと難しい家族もあるだろう。
それは親子の間に、話してみなければ分からない、心の溝があるからだと思う。お互いが気に入らなければ、とことん話し合うべきだ。そして両親が二人揃っている家族なら、片親だけでなく、両親二人と会話をする機会を持ってほしい。それを、もっと早くに気づくべきだったなと、私は少し後悔している。
だからこそ私は、まず自分自身が「親子の会話」をしていきたいと思う。私が父に一言、「お帰りなさい」と言うことから、会話が始まるのではないかと思っている。妹たちにも、それを理解してもらえるように、私なりに努力していくつもりだ。
私の母は若くしてこの世を去り、我が家に大きな悲しみを残していた。だがそれは、家族全員が背負って生きていく「宿命」なのだと思う。それと同時に、私たち家族は「運命」という名の道を歩むこととなったのだ。「宿命」とは「宿る命」であるが、「運命」とは「運ぶ命」である。「運命」は自分たち次第で変えていける。私たち家族は決して、かわいそうだとか不幸だとかいう家族なんかではない。
母が亡くなって以来、悩みや不満は多くなった。誕生日の手作りケーキもなくなった。
家族旅行や外食はほとんどしなくなった。それでも私は今、自分が帰ってくる場所に生まれてきたことを、心から良かったと思える。それは何よりも、私が父や母、家族みんなのことが大好きだから言えることである。
私のめざす家族。それはいつでも誰かの声が聞こえ、あたたかい風が吹いている、そんな家族だ。きっと天国の母も、そういう日が来ることを待ち望んでいるだろう。