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「「ときめき」第一号」

时间: 2017-02-24    进入日语论坛
核心提示: あれが私の「ときめき」第一号だったのだろうか。当時はまだ幼く未熟だったので、自分の気持ちを分析することも言葉で表現する
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 あれが私の「ときめき」第一号だったのだろうか。当時はまだ幼く未熟だったので、自分の気持ちを分析することも言葉で表現することもできなかった。しかし、あの時これまで経験したことのない「ワクワク」が心に宿ったことだけは、はっきり覚えている。
 私は、絵本の世界に浸ることが好きな子どもだった。私の両親は共に本が好きな読書家で、私も本に囲まれて育った。幼い頃は、実にたくさんの絵本を読み聞かせてもらった。
 字が読めるようになると、題名や絵の第一印象で本を選んだ。ツボにハマる本に出会うと、私自身が物語の中に溶け込んでいるような感触がした。空想と日常を行き来し過ぎて会話がかみ合わない、つじつまが合わない返事をする、なんてことも多々あったようだ。
 そんな私は、ある作家の絵本が大のお気に入りだった。その作家は「長新太」。なぜ私が長さんの作品をこよなく愛していたかというと、私の未完成な脳裏にパンチを一発食らわせるような、パワフルな魅力があったからだ。至る所に存在する強烈で独特のユーモア。思わず突っ込みを入れたくなる奇抜な面白さ。それらが最後には、ほのぼのとしたぬくもりに変わるのだ。私は、この読後に感じるほんわかした温かさが大好きだった。
 実は私の両親も姉も兄も妹も、斬新で奇想天外な長作品の大ファン。気がつくと、家には長新太関連の絵本がたくさん揃っていた。中でも私が好きなのは、『ゴムあたまポンたろう』『へんてこライオン』『チューチューこいぬ』……ああ、挙げ切れない。長さんの作品は、全部好きなんだもの!
 そんなある日、美術館で開催された「絵本の原画展」を母と姉と見に行った。そこで、長さんの原画と対面したのだ。私の知らない原画もあったので、私は興奮しながら見た。『ぴかくんめをまわす』など大好きで何回も読んでいる原画を前にした時は、全身が火照り過ぎて、一気に水分が失っていく感じがした。人間味溢れる絵が目の前の簡単に触れる場所に展示してあるのだから、たまらないと感じるのは当然のことだろう。 
 私は気持ちが高ぶり、無意識のうちにぴょんぴょん跳ねていたらしい。美術館の職員に「もう少し静かにね」と注意されてしまった。それならばとお利口に見ていれば、今度は原画に穴が開くのではないかと思うほど近くで食い入るように見ていたらしい。これも「もう少し離れて見て」と注意されてしまった。
 仕方ない、そこそこ上品に鑑賞するとしよう。私なりに頑張って気持ちを抑えたが、ある原画に遭遇した瞬間だ。音が漏れてしまうのではと思うほど、心臓が高鳴ったのは。その原画とは『がんばれ さるのさらんくん』。私の一番大好きな絵本の原画だったのだ。
 わが家には、お下がりとしていただいた古い『こどものとも』版『がんばれ さるのさらんくん』がある。元々手アカで薄汚れた本だったが、私も気に入って何回も読むので、すっかりヨレヨレになっていた。だから、その原画を見た時は、配色が美し過ぎて身震いした。鮮やかで豊かな色彩が、紙の優しさと共に私の目に飛び込んできたからだ。筆のタッチといい下書きといい、細部にまで長さんの息遣いが感じられ、ただただ感動。もう私は頭に血が上り、鼻血が出るかと思うほどハイテンションだった。
 そして、この出会いがきっかけで私は長さんのような絵本作家になりたいと思うようになった。人々の心を虜にする長さんのような作家に……。長さんの次回作は何かな、新作はいつ出るかな、作家への憧れは膨らむばかり。そのような時だ、長さんがお亡くなりになったのは。小さい胸に寂しい現実を突きつけられたが、長さんが私の心の友だちであることに何ら変わりはなかった。
 あれから私は精神的にも肉体的にも成長し、十五歳になった。さすがに絵本は卒業したが、今でも絵本は大好きだ。たまにふらっと童心に返りたくなり、一人静かに長さんの絵本を読んでいる。私の中では、今でもあの頃の長ワールドは色褪せることなく健在だ。
 このように、私は今も読書をこよなく愛しているが、幼い頃と決定的に違うところがある。かっこいい男子やイケメン、スイーツや新作ゲームなど、読書以外にも心が奪われることがあるからだ。私だって女子、そして青春の中に生きている。自慢じゃないが、そういうちょっとしたウキウキならいくらでもある。自分の意思とは関係なく、ドキドキすることだってある。しかし、あの長さんの原画に出会った時のような、あるいはそれを超えるような熱い思いを残念ながらまだ経験してはいないのだ。
 長さんは、幼い私に「ときめき」という気持ちを教えてくれた。私はまだ恋というものを知らないが、胸が勝手に躍ってしまうような「ときめき」に切なさと涙も加わった時こそ、本物の恋をした時かな、と思っている。
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