くものある日
くもは かなしい
くものない日
そらは さびしい
その詩に出合ったのは偶然でした。一冊の漫画の中。ああ、この短い言葉の中に、なんと身につまされる思いが込められているのだろうか。そう思いました。
一人娘だった私が、父の元に戻ったのは母が他界して二年目の春。酪農一筋の父でした。
気難しい祖母と二人暮らしの中に、私は夫を連れて酪農の道へ戻ってきたのです。秋には長男も生まれ、母が他界してからあまり笑わなかった父がよく笑うようになりました。
もともと私はかなりの父親っ子でした。一人娘だったせいか、父は大変可愛がってくれました。
「利奈、これが食べたいか?」
「利奈、トランプをしようか?」
「利奈、アサリ掘りに行くか?」
「利奈、勉強はわかるか?」
「利奈、父さんが好きか?」
父は、本当に私を大切に優しく見守ってくれていました。そして、私はそんな父が本当に大好きでした。
だからこそ、夫を連れて酪農をするといった時、父は本当に喜んでくれていました。無口で口下手な父でしたが、ぽつりと「ありがとう」、そう言ってお酒を飲んでいた姿は忘れられません。ああ、自分は今幸せなんだと思っていました。けれど、私はその後、大きな選択をすることになったのです。
夫と父の間には、いつの間に大きな溝ができていました。私は必死になって、その溝を埋めようと努力をしてみるも、気がつけば二人はまるで憎しみ合う敵同士。
私は誰かに言われたわけではなく、自分の中で大きな選択肢を迫られていると思うようになりました。
夫を取るか? 父を取るか? それは本当に眩暈(めまい)のするような選択肢でした。一人娘の私が父を置いて出ていくことはできない。でも、夫を嫌いなわけでもない。悩んで悩んで悩み抜いた頃、私は二男を産みました。
夫も父も一緒に喜んでくれました。もしかして、そんな淡い期待が胸に広がります。けれど、父は「出て行けと」いい、夫は「出て行きます」と言った。私はああ、もうこの溝は埋まらないんだと確信しました。二十四歳の寒さの厳しい、凛とした青空が目に眩しい朝でした。
そして現在、私は父のいる、いいえ、父のいたあの海の見える田舎町から遠い場所で、酪農を営んでいるのです。
父は五年前の十一月、突然亡くなりました。私が父の元を出て、七年が経っていました。還暦を迎えたばかりの六十歳。そして、ようやく夫と父が和解をしてくれて、父が我が家にも来てくれるようになった年のこと。私は空白の七年間を埋めようと、「これから、これから」だと思っていました。
いっぱい父に優しくしてあげて、いっぱい父を笑顔にしてあげようと思っていた矢先のこと。私は後悔に涙を流しながら車を走らせ、父の眠る実家へと向かいました。想いは溢れるほどありました。けれど、私は泣き崩れることができませんでした。あの冬の朝、私は父を捨ててしまったのだと思ったからです。
あの朝見た凛とした空のように、私は淡々と喪主を務め、親族やご近所に気を配らなくてはいけませんでした。そして、誰も住まなくなった家をどうするのかと……涙はほとんど流しません。父の前では、どうしても泣く資格がないような気がしたからです。
それから自宅へ戻った私でしたが、胸の中に何とも言えない喪失感が、いつまでも消えませんでした。そんな時、ふいに手に取った一冊の漫画。軽い気持ちで中をペラペラ。
くものある日
くもは かなしい
くものない日
そらは さびしい
詩が、目に、いいえ、心に飛び込んできたんです。誰の作品かと、作者を見ても全く知らない人。けれど私はその詩がとても瑞々しく胸に響きました。
雲が出ていると、空が見えないから雲は悲しいと言い、雲がないと空は一人ぼっちで寂しいと言うのだ。私は父の雲だったのではないだろうか? そして、私にとって父は雲だったのではないだろうか? そんな考えが胸を抉(えぐ)りました。
でも、息子がこの詩を偶然読んでこう言いました。「お母さん、優しい詩だね。雲も空もお互いが大好きなんだね」と。私はなんだかその言葉に救われました。そう、私は父が大好きだから。そして、父も私を大好きだったと信じているからです。
お父さんありがとう。