小学二年生のある日、私は友達から声を掛けられた。
「家で図書室やってるんだってね」と。
私は、うん、とそっけない返事をした。どうやら母が保護者会でわが家の「ミニ図書室」のことを話したらしく、それが友達のお母さんを通じて伝わったらし い。まさかクラスメートに知られるとは思わなかったので、恥ずかしくて思わず話を逸らしてしまった。
もともと本は好きだったが、小学校に入って図書室というものを知った私は、たちまちその虜になった。ズラリと並んだ本が音を吸い込む、静かで独特な空 間。新しい本を探すワクワク感。自分専用の貸し出しカードがいっぱいになっていく達成感。そして、それらを司る図書室の先生。憧れの気持ちは募り、訪れる だけでなく、とうとう自分でもやってみたくなった。そうしてできたのが、わが家のミニ図書室だった。
図書室といっても、居間にあったカラーボックスのうちの一段に、自分の持っている本を並べる程度のもの。図書室というよりは「図書箱」である。本の種類 はもちろん児童書。その背表紙のてっぺんに、お菓子などに付いていたリボンをテープで付けて、しおりを作った。当時の私には、紐のしおりが付いている本は ちょっと大人びた感じがして魅力的だったのだ。紐の先を持って本を開く時の「さあ読むぞ」という感覚、しおりを挟む時のページが進んだ達成感。しおりは読 書の中の大切な一部分だった。
それから貸し出し票を作り、一冊ずつ裏表紙の内側に張り付けた。家族全員の名前を書き入れ、準備万端、ミニ図書室はオープンした。しかし、貸し出し票は いつまで経っても白いまま。今から思うと、大人から見れば児童書なんて興味ないし、図書室ごっこなんて面倒くさかったにちがいない。結局、かわいそうだと 思ったのか母が一冊借りてくれた。題は『ながいながいペンギンの話』。貸し出し票を見ると、借りたのが二月二十日で、返したのが十一月二十九日になってい る。絵本と違い百八十ページくらいあるので、ながいながい貸し出し期間になったようだ。きっと忙しい合間に少しずつ読んでくれたのだろう。そんなことも知 らず、私は早く返してと催促していた。次の本を借りてほしかったのだ。
「親の心子知らず」というが、当時の私には母の精一杯の優しさがわからなかった。
そんな様子だったので、ミニ図書室は自然消滅的に閉鎖となった。その一方で、私が本物の図書室に通う頻度はますます増えていった。中学生になると図書係 もやるようになった。高校卒業時には、貸し出しカードの枚数が学年で一番になっていた。たくさんの本に出合ったが、自分がミニ図書室を開いていたことはそ のうち忘れてしまった。
二十年ほどの時を経て、ミニ図書室所蔵だった一冊の本は姿を現した。たった一ヵ所埋まった、貸し出し票付きで。空欄ばかりの貸し出し票。ふと、名前を書き足して借りてみようかと思った。
小学生の私へ。二十年後に、利用者が一人増えますよ。