初めての赤ちゃんをみごもったとき、心からそう思った。結婚5年目でようやく授かった命である。そして、思いもかけず2人目が生まれ、私は男女2人の母親になった。
本は生まれる前から買い集めていた。私自身が本好きなこともあり、読み聞かせは楽しかった。ひざの上に娘をのせ、肩ごしに息子のぬくもりを感じられるひとときは、本当に幸せだった。
息子のお気に入りは『しょうぼうじどうしゃ じぷた』である。小さなジープ型消防車のじぷたが、大型消防車たちにからかわれながらも、最後に大活躍する お話だ。息子は、この話が大好きで、何度も持ってくる。そして、読んでほしいとせがんだ。最後のページになるといつも「じぷた、えらかったね。小さいのに よくがんばったね」と瞳をうるませた。
娘のお気に入りは、うさぎの『ノンタン』シリーズ。とにかく『ノンタン』ならどれでも大好きだった。
けれど幸せな時間は、長く続かない。主人の会社が倒産したのだ。私たちは親元近くにひっこし、家を売った。新しく決まった主人の会社は県外で、単身赴任 をするしかなかった。私は2人の子どものため、パートに出ることにした。
慣れない土地、慣れない仕事、慣れない暮らし。次第に家庭から笑顔は消え、読み聞かせの時間も忘れられていった。息子が少しずつ字が読めるようになった せいでもある。たまに「ママ、読んで」といわれても「自分で読めるでしょ」とうけつけなかった。それどころか、娘にさえ「お兄ちゃんに読んでもらいなさ い」と読んでやらなかった。
正直をいえば、私自身本を読む時間もなく生きるために、なりふりかまわず働くしかなかった。息子や娘の淋しさに気がついてやれなかったのだ。そんな日がずっと続いた。
その夜も、暗い玄関をひきずる足であけたと思ったら、娘が毛布にくるまって玄関先でねむっていた。右手にしっかりと本をにぎっている。泣きながら、ね むったのだろう。ほほに涙のあとが幾すじもみえる。足音に気づいたのか、息子がかけよってきた。
―妹が幼稚園から、たくさん本を借りてきた。自分に読んでほしいといわれた。でも、ママみたいにうまく読めない。妹が泣きだして、ママをむかえに行くと玄 関に行った。勝手に外にでちゃだめと止めた。妹が大泣きして、ねたから毛布をかけた。ぼくは、1人で本を読む練習をしていた。―
息子のほほにも、涙のあとがあった。
「ごめん。ママがわるかった」
つらかったのも淋しかったのも、私1人だけではなかったのに。子どものためにがんばっていたつもりが、子どもにとって大切なものが、みえてなかったなんて。
子ども2人を抱きしめて、泣いた。3人でたくさん泣いた。娘から「ママ、赤ちゃんみたい」といわれ、3人で少し笑った。
その夜から、我が家の読み聞かせは再スタートした。私が読んでいる間「ママ、つかれているから」と子どもたちは、小さな手で肩をもんでくれた。私が、ね むそうに目をこすると、背中をさすってくれた。読み聞かせは、家族のぬくもりを感じる時間でもあった。
子どもたちも高校生になり、もう私の読み聞かせは、必要ない。それどころか、図書館に行く時間のない私のために、リュックを背負い、本を山ほど借りてきてくれる。借りた本は、3人で読みまわし、感想をいったりする。
思春期特有の難しさは、本のおかげでずい分と助かっている。おまけに2人ともマッサージが上手だ。