もう十五年も前アメリカで長女が生まれた時の事である。ポケットサイズの辞書を持参で入院、日本で長男のお産の時とは随分違う多くの体験が得られた。中でも興味深い事の一つは、面会時間だった。
私は医師の配慮で個室に入れたが、向かいは大部屋で、やはり出産した若い母親達が入っていた。至れり尽せりの世話をしてくれる看護婦さんが、軽やかな足どりで時々廻って来るので、夜までドアが開けてあり、必要な時にカーテンを引くようになっている。だから向かいの様子がよく見える。夕食後の面会時間が近くなると、彼女達は鏡の前でお化粧を始め、特に髪のセットは入念にする。開けっ広げで楽しそうにおしゃべりをし、病室は、美容室に変ってしまう。
廊下に靴の音が聞こえてくると病棟はざわめき出す。確か八才以下の子供や、ごく近い肉親以外は来れないので、彼女達の夫は一人でやって来て、たいてい花束をかかえて現れる。「ダーリン」等と手を握ったり抱合ったりそれは大げさだ。慎しみ深い我々にはとても出来ない。感情を素直に表現すると言うべきか。
私の夫も入院中は毎日見舞いに来てくれたが、花束はついに一度も、もらえなかった。
一昨年の秋、夫と一緒に仕事をした事のあるアメリカの大学の、ウォーターマン教授が岡山にも立ち寄られたので、夕食にお招きした。玄関へ出迎えた私に、大げさな挨拶と握手をし、美事なピンクのバラの花束を下さった。夫や子供の前で照れくさかったが、私も大げさに喜んでお礼をのべ、早速備前焼の花入れに生けた。するとパーッと明るい和やかな雰囲気になり、皆の心をしなやかにときほぐしてくれた。
翌日、近所の友達が見えて、
「まあきれい、見事ね。」と言うので
「私にいただいたのよ。少し上げるわね。」
「いいわよ、もう一生のうち二度ともらえないかも知れないから、大事に見てなさいよ。」
私は馬鹿正直に一輪も上げなかった事を、今でも恥かしく思っている。きっと彼女も、花束をもらった事のない妻であろう。
ところが、先日夫が帰宅して
「おい、今年もウオーターマン教授が岡山に来られるよ。」と言う。勿論又我家を訪ねて下さると思うが、私の脳裏には、あのピンクのバラの花束が鮮やかに浮かんだのである。そして、六十才を過ぎているのに、独身でおしゃれで陽気な、ポール?モーリアに似た教授の顔も。昭和一桁生まれの日本の男性である夫には、あんなキザな真似は出来ないし、それが愛情のしるしとも思わない。
でも、小さなものでいい、夫から花束をもらってみたいと、ひそかに思い続けている。