「うあっ 指が開かない。」
「全部揃っても、下駄がはけなきゃね。」
思わず顔を見合わせ、吹き出した。靴をはく感覚でいた娘は、靴だけの生活の思わぬ落とし穴を、顔を赤らめながら感じとっていた。
六年前の七夕祭りに、一度も袖を通していない私の浴衣を、クリーニングし着せた事があった。長年タンスで寝ていた紺地花模様の浴衣は、多少のシミは残ったが、少女の身体に寄り添うように咲く花たちが、娘を可愛く引き立てていた。同じように、初めて下駄箱から出した下駄をはき、明るい笑顔で出かけたものの、遅い帰りを心配していると、案の定、ひどり鼻緒ずれで、半ベソをかきながら、足を引きずって帰ってきた。
もう二十余年も前の事になる。
「あんたのお母さんは本当に優しい人じゃったなあ。今でも下駄の音がすると、あらっと思って、道へ出てみることがあるんよ。」
母が亡くなって半年後、偶然出会った電車の中で、近所の材木店のおばあさんが、遠くを見つめるように母の思い出を語ってくれた。着物が好きな母が、夏の日、姉の縫ったワンピースを着て、下駄で小走りに急ぐ姿を―。弾むような足取りを、少し引きずるような余韻が残る下駄の音を、涙の中に思い浮かべてくれていた。小さな下駄の音さえ、愛しく覚えてくれる人がいる事に、母の娘で良かったと、私も又、涙の中で感じていた。
私の歩んできた、デコボコ道の折折に、この下駄の音は、カラコロ、カラコロ、耳を包み込むように優しく響いてきた。
ある時は「明るく 笑顔をしっかり」、ある時は「今は辛抱 強く生きなきゃ」
そして、子どもは命、自分の歩む歴史だと、励まされ慰められ、歳月が流れた。
花火大会の当日、そろそろ浴衣姿の友達が迎えにくるころだ。部屋の中で、毎日はき慣らした下駄は、鼻緒もすっかりのびて、もう鼻緒ずれの心配はなさそうである。気にいった柄だけに、浴衣は娘によく似合い、何ともいえない十八歳の女らしさが輝きだした。旭川堤を、どんな下駄の音を出しながら歩くのだろうか、楽しそうな、軽い足取りを想像すると、母の下駄の音と重なって、どこからともなく聞こえてくるような気がする。胸に込み上げる熱いものを感じながら、黄色の帯をキュッと締めた。