聞き慣れた呼び声がして、門のチャイムが続けざまに鳴っている。月に一、二度自分で作った野菜を自転車に積んで、隣のS町から売りにくる野菜売りのおばあさんだ。
いつものように鬘を頭の上にちょこんと載せている。黒と灰色に混った鬘の下から縮れた白い地髪がのぞき、寒そうに風に吹かれていた。おばあさんの鬘は見るたびに被る位置が違っていて、今朝はよほどあわてたのか斜めになって、お正月の鏡餅のように二段重ねに頭の上に坐っている。
「帽子がわりに被ると温かいでしょうね。まだこれからが寒いですものねえ」
と、苦笑をこらえながら話しかけた。
おばあさんはよく聞き取れなかったのかにこにこと、細い目をよけいに細めながら、
「へえ、へえ、奥さん今朝は冷めとうて、葱はよう洗うとりませんけえなあ」
と、荷台に括りつけたダンボール箱から、新聞紙にくるんだ泥葱を取り出して、他の野菜といっしょにレンガの敷石に並べている。
うっすらと霜の降りた路面に太陽が射してきて、濡れた野菜がキラキラ光っている。今朝まで畑にうわっていただろう春菊やほうれん草は、寒さに葉が縮まって濃い緑色の株がビニール紐で小さく束ねられている。虫喰いの蕪もそばに転がって輝いていた。
このおばあさんは一人暮しで、わが家に野菜を運ぶようになってから、もう十年近くになる。最初は近所の人も買っていたのだが、不定期で種類も少なく値段が高い。
おまけに菜っ葉やキャベツは穴だらけで、ときには葉の裏に青虫やなめくじがくっついてくる。そんなこともあってか今では誰れも買わなくて、わが家一軒だけがこのおばあさんの野菜の、専属宅配便になってしまった。
名前も歳も、何処に住んでいるのか何一つ知らなくて、おばあさんの野菜は欲しくとも磯のあわびの片想い、ただ待っているだけだ。
乳がんの後遺症で腕が腫れ、重いものが持てない私は夫の休日に車で野菜を買い込んでくる。そんなときにかぎって、次の日ぶらりとおばあさんがやってくる。
「奥さん、腐るものではないから全部買うといて頂でい。うちのは農薬を使うとりませんけえなあ。私の食べ料の残りじゃけえ、安心して食べられますでえ」
と置いてゆく。夫も私も青虫になった気分で、傷みの早い菜っ葉をせっせと食べる。
何処の誰かも知らないで、野菜を通してだけの付合いだけれど、帰省してきた幼い孫達の頭を「いい子じゃなあ」と撫でてくれ、庭の草花をほめ、私の身体を気遣っていく。
見知らぬ町に帰ってゆくおばあさんの後姿を見送りながら、この十年間、女同士いろんなことがあって生きてきたのだなあと思う。
そして、消えていった幾つものおばあさんの後ろ姿を、私はいとおしいおもいで長い年月の中に追っていた???。