町内の婦人会役員の言葉に私は唖然とした。
「えっ! 私まだ七十歳になっていないわ」
「でも、ここの学区は数え年で案内状が出るのです」
「そんなことってありますか。今どき数え年でことを決めるなんて、無茶よ。婦人会の会長さんに言ってください。他のお方はともかくとして、私は堅く辞退させていただきます」
わが胸を撫でる思いで、おだやかに、おだやかにと自分に言い聞かせながらも、心の中に嵐が吹いていた。帰って行く人の後姿に、
「ごめんね、わがままを言って…」と私は声をかけたが、心の高揚をどうすることもできなかった。
「たった一歳の差なのに、六十九と七十なんて変わるわけないでしょう」
以前に誰かの言ったことを、私はそのとき痛く思い出していた。
たった一歳だからこそ大切で貴重なのだ。六十九歳が無性に愛しくて、できることなら、来年も一年でいいから、六十九歳でいたい。この日の私はぼんやりとした表情だったに相違ない。うつ病のような一日であったから。
そして、結局は私一人がこの問題に固執したとて、決められている以上意見は通らなかった。
こんなことのあった年の敬老会に、ボランティア有志による老人の介護劇に、脳梗塞で倒れて半年、半分は痴呆状態になっている八十歳のおばあさん役を、私は演じることになった。これを運命の皮肉というのだろうか。
今、食べたばかりなのに、「ごはんが食べてえ―」と叫んだり、「体が痛えからおかあさん早う来て―」などと頻繁に嫁を呼ぶ。役柄とはいえ、哀しいものだ。けれども演じる以上私は開きなおり、ぼけに徹してやろうと恥も外聞も捨てた。
さて、敬老会の翌日、早朝より八十歳のボーイフレンドがわが家を訪れた。
「まだお若いあなたが、よくぞやり遂げられました。涙が出ました。『でもあんなにはなりたくないなあ』とうちのばあさんと話したことですよ」
「でもねえ、温かい家族や隣人に支えられ、その上にボランティアグループ、保健所の協力で、このおばあさんも心身ともに回復し、ラッキーな結末で救われましたよねえ…」
さようならの言葉を交わし、外に見送って出た私は夢かとばかり驚き、目を見張った。玄関の扉の向こうに、目の覚めるような濃い黄菊の大輪が、澄んだ青空を突いて凛と立っているではないか。三本仕立の見事な鉢植の芸術作品である。菊の支柱の真中に、白い小さなメッセージカードが下がっていた。
『八十歳の演技に感謝。「八十翁」』
腰を折り曲げ、急ぎ足で帰って行く彼の後姿に私は目を凝らし、いつまでも見送っていた。