何日かたって、台所で夕餉の支度をしていると、電話のベルが鳴った。
―おとうさん、死んだん?
受話器の向こうから、心やすそうに言う男性の声。聞き覚えのない声だ。…失礼ですが、どちらさまで?
―西山ですらあ。
ああ、夫の幼な友達だった。名前だけは何度も聞いていた。
―なごう、患ようたん? ひと月でかな。まあ、ヤッチモネェ。
―酒は、ずっと飲みようたん? せえのに。ほんまにヤッチモネェ。
―若けえのに、ヤッチモネェことじゃ。
―来年は同窓会をするつもりのに、会えんのか。ヤッチモネェことになって。
ヤッチモネェの連発に、私はいささか面喰らってしまった。でも、里言葉丸出しの遠慮のない電話に、いつの間にか、ほのぼのした気持ちになっていた。
ヤッチモナェ、またヤッチモネェと言うこの方言を『岡山県方言集』(国書刊行会)で調べてみると、「ヤチモナェ、ヤッチモナェ=たわいない。思慮のない」とあり、私も子供のころ「この子はヤチモナェことばかりする」と叱られた記憶がある。
夫の故郷は吉井高原に近い山村である。山には柿、栗、梨の木があり松茸も採れた。
電話の西山氏のことを夫は、「あいつ」と呼んで私に話していた。
あいつをわしは、よういじめたもんだ。馬乗りになって「こらえてくれぇ」と悲鳴をあげるまで尻を叩いたなあ。あいつは弱虫で木にもよう登れんかった。それが、いまじゃあ社長だ、町の顔役と偉そうな口を利いてなあ。
お酒を飲んで上機嫌になると夫は、幼い日の腕白ぶりを得意に語るのだった。
夫が大将で、あいつはいつも家来と。でも小柄な夫を見ていると、ひょっとして話は逆ではないかと想像しておかしくなった。
夫は就職するため故郷を出た。西山氏は地元で材木会社を経営しており、同窓会の世話役でもある。案内状が届くと、夫はきまってあいつが威張るから欠席と言う。そう言っておきながら、当日には始発のバスで出かけて行く。常より軽い足どりの後ろ姿であった。
西山氏と夫の間には、山を駆け、取っ組み合って、転んで泣いて育った推しはかれない友情があったのだろう。
喪中欠礼の挨拶状を見て、驚き、西山氏が電話で繰り返したヤッチモネェは、夫の死を惜しんで、思わず口に出た最高の心の言葉であろう。
―そっちの方へ行ったら、寄りますらあ。
そう言って、西山氏は電話を切った。