山間のその町を、まだ蒸気機関車が走り抜けていた頃の話だ。鉄橋を肩にかついだ旭川は、雄雄しく、美しかった。
三十五年という歳月を経た。そして今春、夫が受け取った辞令には、「勝山」と書かれてあったのである。引っ越し準備をしながら、幾度となく、思いを過去へ連れていく。
転宅の朝が来た。車は、国道一八一号線へ向きを変える。次第に近づいてくる“故郷”。私の胸は、小槌で叩かれるような音を立てた。
町は見事に変貌を遂げていた。駅舎も商店街も。かつて住んでいた所には、近代的な町民センターが威風堂々と建っていた。
変わらないものは、変わらず待っていてくれたものは、やはり、川だった。川音だった。川の匂いだった。
当時、家族ぐるみで親しくしていたSさんとも再会、
「あの頃からオッチョコチョイだったなあ」
「捨て犬をいっつも拾ってきとったなあ」
等と、埃をかぶった記憶を一つ、また一つ、古い棚から降ろしては、二人で笑い合う。
十年前に他界した父の話になると、Sさんの声音は一段と優しくなった。
父は釣りが好きだった。長靴を履き、膝のあたりまで水に入って、悠然と竿を垂らす父の姿は、今でも鮮明だ。
見つけると嬉しくて、小走りで近づきながら、手を高く高く伸ばして振る。「おーい」という父の声が、大きく温かく返ってくる。
子供時代は、永遠に続くと思っていた。父は父のままで、私は私のままで。その、宝石のような時間を、たぶんその頃は、幸せとも思わず過ごしていたに違いない。
川沿いを、上流に向かって歩いてみた。まるで私自身を溯るように。
思いは次々と私の裡を駆け巡り、やがて白い飛沫となって、流れへ溶けていく。
「早う、おかあちゃんを連れてきてあげて」
Sさんに何度も言われた。そうだ、今度は、母と二人で川辺を歩こう。そして、「おーい」と手を振る父の姿を一緒に見つけよう。
数日後、私は河口に立っていた。
投網を打つ人がいる。網は、大きく円形に広がって水面を包み込む。
勝山町からここまで水が流れてくるのに、一体何日を要するのか、あの日の、川辺での私の思いも、水の群れに運ばれたろうか。
しぶきの光が舞い上がった。あたりは、空の匂いと水の匂いに満ちてくる。
何度も何度も、投げては戻される網。人は皆、このようにして、「きょう」という時を確かに捉えるために、いつも一人で網を投げているのかもしれない。
「おーい」
ふと、父の呼ぶ声が聞こえたような気がした。