毎朝決まって出会う職員室前で、その日もM君に声をかけた。しかし、M君は黙ったままだった。かすかに微笑んではくれるのだけれど、声は聞けなかった。障害児学級のM君に国語を教えるようになってちょうど三か月。まだ私のことを充分受け入れてはくれないのかな、と少々がっかりした日のこと。帰宅した私を待ち受けていたのは夫の興奮した声。
「ツバメの子がやられとんじゃ。」
ええっ、と玄関先のツバメの巣を見上げた。そこには、昨日までのあのかわいい雛たちの姿はない。
「カラスかもしれん。表札がゆがんどった。表札に止まって、子をねらったんかなあ。」
夫は悔しそうに言った。雛がやられるなんて初めてのことだ。私は昨夕のことを思い起こした。帰宅した折、まだ小さい雛たちがチチと鳴きながら、か細い首を何度も長くもたげていた。痛々しかった。黄昏時、いつもなら親鳥は雛を守るように巣の淵に止まっているはずなのに、どうしたのだろう。胸が騒いだ。何かが起こる前兆だったのかもしれない。
しかし朝は忙しく、巣を見やる余裕もなかった。敵は私の心の隙をついたのだろうか。
それにしても、と私はそのツバメの親子がふびんでならない。彼らは不運が重なっている。そして親鳥の努力は報われていない―。
我が家に数年前から掛けられている巣で、そのツバメの親夫婦が子作りをしようとした時だ。思いもかけない横槍が入った。初めて見るコシアカツバメがどこからかやってきて、巣を占領してしまったのだ。私と夫は奔走してコシアカツバメに退散してもらったが、夫婦はその巣に近づこうとしなくなった。そして新しく巣を作り始めた。からから天気の中、何日もかかって泥を集め、巣を完成させた。大変だったと思う。だからようやく雛がかえった時には、ほっと胸をなでおろした。
彼らにとっては巣も雛も、障害を乗り越えての努力の結晶だ。巣の位置がもっと表札より遠かったら、いやそもそもコシアカツバメがやってこなかったなら、と悔やまれてならない。それに、もし、カラスが犯人だとしたら、私がカラスを呼び寄せたも同然だ。スズメにやろうと毎日まく餌を、カラスも食べにきていたのだから―。ツバメに謝りたかった。
人間だって、ちょっとした不運が重なって人生が狂ったり、努力しても報われなかったりする。だけどあのツバメの夫婦だけには、是が非でも努力を実らせてやりたかった―。
それからしばらく気落ちした日が続いた。そしてその朝も、職員室前でM君と出会った。
「おはよう。」
M君の声だ。私は胸が熱くなった。それまで一度も挨拶を返してくれたことはなかった。なのにM君の方から―。笑顔が輝いていた。嬉しかった。太陽の沈んだ黄昏時に、ぱっと明るい光が蘇ったような思いがした。私も大きな声で、「おはようっ。」と応えた。