毛艶もなく、ひどく汚れていた。老犬だ。深い湖のような目の色をしている。撫でようと手を伸ばすと、ビクッと体を後ろに引いた。
ついて来る、私の後をずっと。帰宅後は、どこかへ姿を消したが、翌朝、又、すっと寄ってくる。だが、私以外の人間には、「ウー」と低い唸り声を上げ、牙を見せ、狂暴な顔になった。「飼いたい」と両親に頼める雰囲気はどこにもなくて、そのまま、一日、一日と過ぎていったのだ。
彼は、まるで私の影のようだった。忠実に、誠実に、牛若丸を守る弁慶に似ていた。一度、小さな声で、「ベンケイ」と呼んでみたが、いつもの柔らいだ表情の上に変化はなかった。
自転車で出かけてもついて来る。懸命に走って来る姿がいとおしくて、ついつい降りて自転車を押して歩くことになる。弁慶と私の影は、一つになったり、離れたりしながら、言葉のない会話を交わし続ける。
温めたミルクをよく飲んだ。最初、舌の先をつけ、ほんの一瞬とまどいの表情を見せた。ずっと冷たいゴミを漁っていたのだろう。その温度が少し意外だったようだ。
白い滴を、あごの周りに散らしながら、目を細めて飲む。微温のミルクから、母親のお乳を思い出しているのかもしれない。胸に顔を埋めていたしあわせだった頃を。
弁慶の喉を、コクンコクンとミルクが通過するたびに、私の胸にも温かさが降りて来た。
薄明りの残る夕暮れ時、くすんだ灰色の毛色は、ふっと薄暮に溶け込んで消えてしまう。不安定な、あやふやな彼の存在を暗示しているようで、私は時折、小さく身震いをした。
楽しい生活も、突然、終わりを告げる。
“危険な野犬”と、父が保健所へ連絡を取ったのは、仕方のない事だったのかもしれない。けれど、悲しかった。腹立たしかった。涙を拭いながら、私は保健所へ走った。無理だと分かっていても、走らなければという意地が、大きな塊となって私を突き上げる。北風の強い寒い日だったが、体も心もビッショリ汗をかいていた。建物に到着した途端、汗がすうっと冷たく変わっていく。
「連れて帰りたい」という私の願いは聞き入れられず、結局、無力を知っただけだ。牛若丸は、弁慶を守れなかったのだ。その場所に、しばらく私は、杭のように立っていた。
歳月を経ても尚、二月が来ると思い出す。弁慶と北風に向かって走りながら、風の中に、微かな春の息遣いを感じ取っていたあの日。
一つの季節が去って行く-そこに、いつも弁慶の後ろ姿を重ね合わせてしまう。
二月の夕暮れは、あの老犬の深い目のように、しんと静かだ。