昔からあるのが、暑気払いとして土用の丑の日に鰻を食べる習慣だ。子どもの頃、近所の鰻屋のおじちゃんがねじり鉢巻きを締め、破れた渋団扇をパタパタさせて焼く姿をじっと見ていた。そして現代、この季節になるとデパートの食品売り場は鰻の蒲焼の香りが泳いでいる。
「丑の日に鰻を食べて暑気払い」のキャッチコピーは平賀源内の案だと言う。夏場の売り上げ不振に悩んだ鰻屋の親父に、宣伝を頼まれて考えたという説は有名だ。エレキテルを修理、復元した源内は有能なコピーライターでもあったのだ。はたして、彼は鰻が好きだったのだろうか。
鰻好きで有名と言えば斎藤茂吉がいる。歌ができぬ時、原稿が書けぬ時、鰻を食べればたちまち思うままに筆が運んだらしい。
末期の人が「もう一度、鰻重を食べたい」と言えば、家族は血眼になって捜し求めるだろう。末期ではないが、戦後の食糧難の折、茂吉は戦前に銀座のデパートで大量に買い込んでいた鰻の缶詰を食べていたらしい。そして、戦後何年か後にこんな歌を詠んでいる。「十余年たちし鰻の缶詰ををしみをしみてここに残れる」これはただの鰻好きではない。
確かに缶詰は賞味期限の長い大切な保存食だ。このたびの大震災で見直されたせいだろうか、最近は缶詰売り場も広くなったような気がする。しかし、私の行動半径内にあるスーパーマーケットに鰻の缶詰はない。茂吉のように銀座のデパートへ行くしかないのだろうか。
インターネットで検索してみると、浜名湖の鰻などの情報などの中、おもしろい個人のブログを見つけた。彼(彼女)が、缶詰を開ける前、開けた後、まさに取り出すところ、ご飯にのせたところの四枚の写真に詳しい説明と愉快な感想が添えてある。缶詰はマイジャムで有名な明治屋製。小さな鰻の蒲焼一匹分を三分割して入っているのでご飯三杯分、もしくは三人分。缶詰の中の鰻は皮のゼラチンが張り付いて団子にならないように一枚一枚パラフィン紙のようなもので包まれている。調理方法は東京風の背開きらしい。
原稿に行き詰まった時、茂吉はいとおしそうにパラフィン紙をほどいていたのだろうか。まさか、あの茂吉だ。奥方か、お手伝いさんに頼んでいたのだろう。いや、あの茂吉だ。書斎の片隅でギコギコと缶切りで開けたに違いない。缶詰の形は鰯のそれのような楕円ではないが、四隅が丸い。鰻さまがきれいに収まる工夫だ。
本物の江戸前の鰻重を食べたことのない私は、どちらかと言えば穴子丼のほうが好きだが、原稿が書けるのなら鰻だ。
そうだ、幻の缶詰を探しに行こう。