時間つぶしに、ふと立ち寄った書店で、何気なく手に取って立ち読みした一冊の本。気がつけば、一時間近くも読みふけっていた。それが、星野さんとの初めての出会いとなった『愛、深き淵より。』である。今から、約三十年前の冬の日のことだった。
当事、私には、六歳と二歳の子供がいた。公立中学校の事務職員の仕事と、家事?育児とのはざまで、心身ともにくたくたの毎日を送っていた。しかも、同居の義母は、病弱で介護が必要な状態だった。
その夜、私は書店で買い求めた『愛、深き淵より。』を紐解き、一字一句見落とさないよう、改めて読み返した。それは、自分と五歳しか違わない星野富弘という人の壮絶な手記であった。同じ中学校現場に勤める元教師の手記は、とても親近感があり、私の心を激しく揺り動かした。
彼は、体育の教師として公立中学校に赴任して三ヶ月目に、クラブ活動の指導中の事故で、頚髄損傷を負った。二十四歳の若さで、首の下からは全て麻痺という重度障害。失意のどん底に突き落とされながらも、筆を口にくわえて詩画を描くことに生きる喜びを見つけるまでを、赤裸々に綴った手記だった。一行一行が、心の奥に沁み込み、幾筋もの涙が頬を伝った。読み終えたとき、自分の悩みなど、何とちっぽけなものかと思われた。とりわけ慢性関節リウマチで全身が不自由な義母と私たちにとって、彼の生き方は、大きな励ましと勇気とを与えてくれた。
数年経って、二人の子供たちから相次いで星野さんについて教えられる出来事があった。長女は、道徳の授業で星野さんのビデオを見た感動を興奮気味に語った。また、長男は、図書館で借りて読んだ星野さん著の「かぎりなくやさしい花々」という児童書を買ってほしいとねだった。偶然、家族が「星野さん」で繋がった。それ以来、新刊が出版される度に買い求め、約十冊が家族共通の愛読書となったのである。星野さんの本は、いつ、どこのページを開いても、優しい眼差しにあふれている。読む度に新たな発見があり、当たり前のこと、ありふれた小さな出来事さえが、本当の幸せだと気付かされる。
星野富弘さんとの出会いから、三十年。この間、計り知れないほど多くの心の糧を授けてもらった。これからも、日々の暮らしの中で、星野さんの本は、私達に語りかけてくることだろう。静かに、優しく、深く、時にはユーモラスに。生きること、生かされていることの大切さを。---
Nさんには、本棚から「鈴の鳴る道」という詩画集を選んだ。この一冊が、彼女に癒しとパワーとを与えてくれることを願って。