母はあの年、出来たばかりの梅漬けをじっと見つめながら独り言のように言った。
「梅漬け、いい色に染まったわ。今までで、一番きれい。わたし、健康なのね」
「うーん、このすっぱい匂い、だーい好き。もう唾が出ちゃう。梅酢もいっぱい入れてね」
嫁いだばかりの私は、シソの葉色に染まった梅漬けをしめしめとばかりに持ち帰った。
梅漬けの色は、漬ける人が健康だときれいな色に仕上がると言われている。今思うと、自分の体調の悪さを自覚しつつも、思い違いであって欲しいと願っていただろう母のつぶやきに意味があるなど思いもしなかった。
「明日はお庭でご飯よ」
幼かった頃、母はつぼみがほころび始めると、天気を見計らっては梅の木の下にゴザを敷きおやつやお昼ご飯を食べさせてくれた。母に見守られて庭で遊ぶのが好きだった私と弟は、洋服をいつもより丁寧に畳んで枕元に置き、明日晴れますように、とお祈りして布団に入っていた。
ままごとみたいなひととき。私たちはうれしくてはしゃいだ。庭には、父が植えた「雪の下」と「紅玉」のリンゴの木もあった。木登りには格好の高さである。木の上で、おにぎりをほおばると梅のすっぱさで顔がくしゃくしゃになってウッウー、と声になる。そんな私たちを見上げて母は微笑(ほほえ)んでいた。
母はおにぎりの具に梅と塩引きを一緒に入れていた。私も、同じようににぎっている。祖母を知らない子供たちは、その味で育った。私も天気の良い日は、子供たちを連れて、庭、ベランダ、公園とお昼ご飯を楽しんだ。
あの日の梅漬けが残り少なくなった頃……。母は突然入院し、そのまま帰らぬ人となった。
母を見送る儀式を滞りなくこなすので精一杯のあわただしい日々が続いた。
庭の梅の実を誰もが忘れていた。熟れて黄色になった梅が、庭一面に落ちているのを見て呆然(ぼうぜん)と立ちすくんだ。落ちた梅を割れる前に拾ってはジャムにしていた母。すでに割れている梅を見て、大切に紡いでいた母の日常が途絶えた、と思い知った。
その夜、梅漬けが入ったビンをテーブルの上に置いた。ふうっと母の手が目の前に現れる。箸で優しく赤い梅を摘む。梅とシソの葉を交互に入れて梅酢をお玉でそそぎ、ククッと蓋(ふた)を閉める。
あたり前だった母の仕草のひとつひとつが時を刻むようによみがえる。一息ついてそっと蓋を開けてみた。あの日と同じ匂いがする。両手でしがみついた。遠くに置いていた涙がやっとこぼれ落ちた瞬間だった。二度と戻らない幸せな時。母がいて、娘がいた穏やかで平和な触れ合い。母が何度も手を掛け私に残してくれた母の梅漬け。食べてしまったら繋(つな)がりが消える。母のまなざし代わりに、梅漬けのビンを食器棚の目に付く位置に置いた。
それから父とも死に別れたが、母の視線はいつもの所にあった。
日常には幸せ色の下に潜む情け容赦ない現実がある。コントロール出来なくて、幾度迷いと絶望の谷底で息をしたか知れない。
折れそうになる心のよりどころは、両親の墓参りだ。庭の咲く花とお茶、しょうゆ団子とピクニックシートを用意して向かう。
お寺の門をくぐるや、やっと来られた、やっと甘えられる、と泣きじゃくりながら小走りになった日もあった。だが墓にたどり着く頃には、強張(こわば)りが緩み頑張る力が沸いたりもした。だから、いつも、
「私、元気よ。すごく幸せです。みんな頑張ってますよ。ありがとう」
と、感謝の気持ちを伝えることにしている。
冬晴れの日、生家の庭で雪をまとう梅の木を見た。母の年齢をとうに越えた私。母の最後の梅漬けを食べてみる頃に違いない。
はやる気持ちで家路を急いだ。
心を落ち着かせて梅を取り出した。そのひとつぶを口に含む。おいしいと思った。塩辛さも酸味も熟成をくり返しながら生きてきたのだ。これはまさしく母の味であり、母亡き後、泣きべそかきながらも何とかやってきた私の三十五年の味でもある気がした。
我が家を持てた時、真っ先に植えた梅の木。それからは、夫が実を採り、私が漬けるささやかな営みを繰り返している。母が会えなかった孫たちを祖母の味で育てたから、小さく目立たない日々に母は今も息づいている。
この春、初孫をこの手にする喜びを得た。私の孫に母の味を伝えられるのだ。新しい命、新しい未来。実を結ぶ梅の花が咲く。