しかし、酒好きな大工職人である父親と、二つ年上で勝気な性格の母親との間に、夫婦喧嘩は絶えず、我ら兄弟は、夫婦喧嘩の中で育てられたようなもの。従って、父親というものに対して、特に親しみは感じていなかったと記憶している。
そんな父親だが、毎年、台風の季節になると思い出すことがある。
それは、私が小学校六年生の夏休みのことだった。
大型の台風七号が関東地方に上陸。我らが山梨もその渦中に巻き込まれた。家がつぶれるかも知れないという恐れから、母親と我ら兄弟は、隣家に緊急避難して一夜を明かすことに。だが、あの嵐の最中、我らの心配をよそに、父親だけは我家に止まり、釘とカナヅチと板を手にして、必死に台風と戦っていたのだった。
一夜明けて台風一過。関東一を誇る甲斐善光寺の本堂は西に大きく傾き、山門は崩れ落ちてガレキの山と化していた。
山門のすぐ脇にある我家は、本堂と同様に西に傾きはしたものの、倒壊は免れていた。しかし土壁ははがれ落ち、畳は水浸し、家の中から青空が見える有り様だった。
その後、父親の手によって傾きが直され、壁や屋根の修理がなされたが、そのとき程、父親の逞しさ、頼もしさを感じたことはなかった。
あれから四十九年が経過。今や老いて病床に伏す父親に、若かりし頃の面影はない。
昨年春、一足先に母が他界して以来、めっきりと、気力体力共に衰えてしまった老いた父。毎日病院を訪れては、励ましの言葉をかけるのだが、返事は首を振って応えるのみ。
(もうちょっと長生きしようよ!!)
心の中で呟く私であった。