コドモと親はおんなじ言葉を使っているようで、たまに全く別の言葉を使っている。
コドモの『言い間違い』は、自分が生活している世界とは違う、異次元からの言葉。
コドモの『言い間違い』は、親を想定外の楽しい気分にさせてくれる。
…例えば、こんな感じ。
■今日は待ちに待ってた「いちご湯沢で、どてん風呂」→越後湯沢で、露天風呂。
■ごはんを食べ終わったら、両手を合わせて、「おじぞう様?」→ごちそうさま?。
■さあ、夜のカブトムシ捕り! 夜道をてらす「かいじゅうベントウ」→懐中電灯。
■空を飛んでるのは何? イベリコ豚? じゃなくて「ヘリコ豚」→ヘリコプター。
最初から、そうやって覚えちゃってる言葉もあれば、一回限りの言い間違いってのもあるが、とにかく、奇想天外で面白い。「間違ってるまんま、直さないでおこうか」なんて、よからぬ事を考えてしまう事もある。コドモの限られた宇宙(ボキャブラリー)の中で発せられる『たどたどしい言い間違い』は、思いっきり可愛くて、思いっきり楽しい。この楽しさは、いつもコドモと一緒にいて、コドモの成長を手助けしている親だけに与えられる『ご褒美』みたいなもの。いつまでこの『ご褒美』を貰えるか分からないけど、できるだけコドモから離れないように心掛けて、この『ご褒美』を聞き逃さないようにしたい。
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寝ボケの血筋 町田香子
私は、小さい頃、よく寝ボケて珍事を繰り返したらしい。らしいというのは、寝ている間は、全く無意識というか、まさしく夢見心地なのである。その頃のことで、なぜか覚えているのは、空を飛ぶ夢を見て、「あっ、不時着だ」と思った瞬間、ベッドから落ちていたり、「火事だ!」と思ったとたん、おねしょをしたり。そんな私であるが、一度も母からイヤな顔をされたことがない。もう一人、家に寝ボケの大御所がいたからである。そう、寝言の王様、父が君臨していたのだ。
父は、新聞記者という仕事がら、夜討ち朝駆けの生活は、いつ帰宅して寝ているのかわからないどころか、夕食など一緒に食べたことがなかった。たまに早朝、学校へ行くときに、夕べはいなかったはずの父の寝姿を見るとほっと安心したものである。しかしながら、みごとな寝言であった。九割がた、部下への叱咤激励であり、寝言とは思えないほど、リアルなのである。私は、よく面白がって「ハイ、ハイ、それで?」とか相づちを打っていた。そんな日々の中で、あるとき、父の究極の寝ボケに遭遇した。それは、父と久々に映画を見に行ったときのことであった。忘れもしない、タイトルは「かぐや姫」である。家族サービスのつもりであろうが、日々の疲れからか、最初から父は、すでに舟をこいでいた。映画も後半になって、かぐや姫を連れに月からの使いの者が「おともの者が参りました。」という名場面のその時であった。寝ているはずの父が「おう、今行く。」と答えたのである。もちろん、まわりの客は驚くとともに爆笑の嵐であった。そのときの私は、というと、これがまた、人々に交り大笑いしていたのである。
本当に救いがたい、寝ボケ親子だなあと思う昨今である。