「大丈夫?もうすぐ病院だからね。」3才の時右腕を折った。姉とふざけていて倒れた時に右手側にたおれてポキンとやった。もうオンブヒモもママーコートも関係ない年令だったが、その時は、痛がる私を病院に連れていくのに母は使った。久しぶりの母の背中はあたたかく、なつかしい香りがした。みぞれ混じりの季節。北陸の暗くて寒い冬。時折吹く横なぐりの風にみぞれが混っている。三人兄弟のまん中でいつもは放ったらかしの私の唯一の母に甘えた思い出。痛くてあたたかい記憶。
「先生。大丈夫でしょうか?失明は?」次々と質問をぶつける。目の奥の骨折だけに不安で一杯になる。「時間が経ってみないと今は何も言えません。」と眼科医。しばらく外でおまち下さいと外来のベンチへとうながされる。「お母さん助けて。」と心で祈る。去年の10月の終り母がピンピンコロリとこの世を去った。生きていたらとんできて「どうや?」とERに来てくれていたであろうにと思うと胸が涙で一杯になった。
「いくつになっても、子供はこどもや。」というのが母の口グセだった。一人暮らしの母では食べ切れない程のおかずを作り「とりにおいで。」と電話をくれた。いつも幸せになるように心を配ってくれた。生きている間よりも死なれてみて気づいた事の多さに打ちのめされる。45年前、腕を折って泣きじゃくる私をおぶって小走りに走ったじゃり道をどんな気持ちで走ったか。外来のベンチで母の気持ちが分かったような気がした。