それでも、窓から見える雨に心が落ち着く。
雨が降り出すと、母は農作業を止め家に居てくれた。
板の間に座り、縫い物をよくしていた。
切れ端を貰い、人形のスカートを縫った。
「かあさん、これを結んで」と、玉結びは母に頼んだ。
「こんなの簡単だべ」と言いながら、母が出来ないことが出来る喜びと、
母の役にたっていることが嬉しかった。
靴下の踵に穴があけば、綺麗に継ぎはぎをしてくれた。
ズボンの裾が綻びれば、履ける程度に縫ってくれた。
新品にはほど遠いけど、なんでも繕ってしまう。
新しい服が欲しくても買って貰えなかった。
絵本が欲しくても「買って」とは言えなかった。
ただ、雨の日は雑誌の記事も読んでくれた。
小学生たちを荷台に乗せたトラックが、崖から落ち死亡した、という内容だった。
「どうしてなの」の私の質問に、解説を加えながら「ほんに可哀想になあー」と、たどたどしく読んでくれた。
母は、褒める、叱るは上手ではなかった。
口数も多いわけではなかった。
でも、母が家の中に居る、それだけで安心できた。落ち着いた。嬉しかった。
あの頃の母の年齢はとうに過ぎてしまった。
息子たちには、母のような母親に私は映っているのだろうか。