その日、私は一週間前の検査結果を聞きに病院へ向かった。「悪性と告知してくれない場合、どういう手段で先生に口を割らせたものだろうか」それだけが唯一の懸念だった。
なにしろ我が家は十四歳の息子との母子家庭。私の命が尽きるなら、整理しておかなければならないことが山ほどある。
「悪性ですねぇ。ベッドが空き次第すぐ入院しましょう」案ずるより産むが易しどころじゃない。拍子抜けする位あっさり先生の癌告知。
その足で図書館に向かい、関係本を熟読し、自分の生存年数に見当をつけた。最大で五年。さて、どうするか。
生命保険が下りるから息子が一丁前に働ける位までは食べていけるだろう。但し、私の身勝手で彼から父や友達や親戚やを取り上げて、替わりに寂しさを与え続けてきたのだ。
これ以上の寂しさに耐えてくれよは死んでもできない。一人ぼっちで生きる息子が、私は地獄の業火よりも怖ろしい。
ぐじぐじと泣き喚いた長話の果てに、「お父さんの所へ行ってはくれまいか」「お母さんは今日限り死んだものと思って生きてはくれまいか」と私は懇願した。
「お母さん、俺は泥棒してでも生きていく。だから、最後までここでお母さんに付き合うよ」 まだ子供体型から脱皮していない彼。声変わりもしていない息子は即座にに言い切った。
息子の即断は私にとって、親子から同志に変わった瞬間だった。自力本願を捨てた瞬間だった。ままよ。なるようになる・・。
息子は現在嫁さんをもらって、目障りな私を気兼ねて暮らしている。ちょっんちょんと私を突いては「これが一番の粗大ごみなんだけどなぁ」という。
最後まで付き合うと言った、若気の至りの結果だ。甘んじて受け入れろ、と私は内心感謝もしつつ、毒づいている。