私が大学を卒業してほどなく、母が我慢しきれず両親は別居となった。大黒柱を失った我が家では、研修医になりたての私に父親役が否応なしに押し付けられる形となった。
頼りになる父親を心の中で求めても、資金繰りに困るたびにお金の打診をしてくる父親に失望するしかなかった。
そんな私が、父との関係を修復したいと思ったのは、結婚して幸せな家庭を持ちたいと思い始めた事と、これから起業(開業)する上で父親との家庭を正常に戻す事が不可欠と感じたからだ。
「とくに何があったわけじゃないんだけど」と前振って父親を突然ランチに誘った。
ぎこちない会話の中で父の口から「どんなに離れていても親は子どもの事を思っているもんだ」という言葉を聞けて、それまでのわだかまりが一気に消えていった。
そのランチの半年後には、父が食道がんの末期であることが判明し、自分の勤め先で手術を受けさせ、自宅で在宅ホスピスを行った。
病気のことがわかってからの母や叔父たちの対応を見たり、会社をたたむ手続きをする中で、父がいかに孤独な戦いを強いられていたかを知った。
「初めてパパの孤独さがわかりました。今まで一人で戦わせてごめんなさい」とメールをしたら「パパの気持ちをわかってくれるのはなおちゃんだけです。入院して初めて泣きました」と返事が来た。
会社のことや借金のことなどは私が一手に引き受けて、父の介護は妹と分担した。今まで「父親役」を強いられてきた私が、父を看病することでやっと「娘」に戻れたのだった。
そして、病気がわかってから半年後に、妹とダブルで親族のみの結婚式を挙げた。父の病気がわかってから、「最後に何か父親らしいことをさせてやりたい」と思うようになり、諦めかけていた婚活を再開した結果だった。
父はモルヒネを飲みながら、バージンロードを2回歩いてくれた。入場前の控え室で、「生きているうちに晴れ姿が見れてよかった。でもやっぱりママの花嫁姿の方がきれいだ」という父の言葉を聞いて涙があふれそうになったのと同時に、「あ~パパは永遠の片思いをしているんだな~」と、なんだか切なくなった。
結婚式の2ヵ月後に、父は自宅で息を引き取った。私が見守る中で、最後に深い深いため息のような呼吸をして、ひっそりと旅立っていった。
父が亡くなってから半年後には、開業の夢を叶え、1年後には娘を出産した。
父と絶縁状態で家族もばらばらだったころからは想像もつかない程の幸せな毎日が、今は自分の手の中にある。
父に対して十分なことがしてあげられたのかどうかは分からない。でも、今の私の幸せはすべて父を許すことから始まったのだ。