自宅近くの大きな公園で、小学校六年の双子の息子たちが、友人たちとサッカーに興じていた。半袖の子供たちは元気いっぱい。みんな夢中で走り回っている。
やがて、双子の下の子から「お父さん、レフェリーやって!」と声がかかり、木陰のベンチにいた私は「おう」と重い腰を上げた。
その時である。私は何の脈絡もなく、あの日の出来事を、突然、思い出したのだ。
四十年近くも前の、土佐の夏。
息子と同年齢だった私は、自転車で外へ出た。いつもの遊び場とは違う、繁華街へ。途中で友人二人が合流し、目的地では、さらに友人が増えた。そこへ、父がやってきた。行き先を母に聞き、列車で二駅分を先回りしたのだという。そして、父はみんなに言った。
「みんなあ、きょうはどうする? おじさんと一緒やったら、ゲームセンターも行けるで。それか、冷たいもんでも飲むかえ?」
ところが、私は次の瞬間、「お父ちゃん、帰ってや。きょうは僕らだけで遊ぶがやき。帰って」と言ったのである。しばらく、問答が続いた。戸惑う友人たちをよそに、私は「帰って」と言い続け、やがて父は帰った。結局、何をして遊んだのかの記憶はない。
夕方、自宅に戻ると、母に呼ばれた。父の姿はない。
「あんた、何を言うた? お父ちゃん、泣きながら帰ってきたぞね。あんなに悲しそうなお父ちゃんは見たことない」
母は静かにそう語り続けた。
反抗期の始まりだったのかもしれない。自分たちだけの世界に大人が来ることがいやだったのかもしれない。もしかしたら、説明できる理由などなかったのかもしれない。
私は、あの夏の父と同じ年齢になった。
サッカーに興じる子供たちを前に、突然思い出した「父が泣いた」という母の言葉。私は急に悲しくなった。過去を悔やんだ。そして「レフェリーやって!」という声の方に歩きながら、不覚にも涙し、子供たちがにじんで見えた。