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「母」

时间: 2017-09-03    进入日语论坛
核心提示:四畳半程度だったが、小松菜やほうれん草がとれ、トマトやナスを育て、シソやミツバが食べられる家庭菜園は魅力に溢れていた。五
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四畳半程度だったが、小松菜やほうれん草がとれ、トマトやナスを育て、シソやミツバが食べられる家庭菜園は魅力に溢れていた。
五月の陽光を浴びながら、夫婦で虫や草をとり、若苗の間引きなどをしていると、
「雑草を恐れるな」、突然、二階のベランダから母の声が降りてきた。御歳九十三、認知症が少し出ているが、しゃきっとしたもの言いに、「分かった」と見上げながら答えた。
「まだ本当の百姓ではない」、私の手つきや野菜の育ち具合いを見てのさらなる声。
「野菜は同じところに作るな」、忠告も飛んでくる。
「はいはい」と返事をしながら、久々に力が入っているのを微笑ましく思った。
五年前、調子が少し崩れかかったときには、猫を飼って凌いだ。母が生きていく上で必要なのは、日々の具体的な世話と思いやる心を取り戻してもらうことであったから。
「畑をやればまだ長生きしてもらえるかも」と妻が言うので、「降りてきて畑をやらないか」と大きな声で誘ったら、「それは無理」と小さく言って顔を引っ込めてしまった。
 信州の農家出身の母。その母のもうひとつの口癖が、「あの山の向こうに行けば田舎がある」だった。山とは、ベランダから見える小高い公園の雑木林だった。
父が亡くなって二五年。この頃、母の気持ちはさかんに実家へと向いている。
父が今わの際に残した「ふるさとに足を置いて原石を探せ」のメッセージや、小説「夜明け前」で知られる島崎藤村五〇歳のときの「人は幼少期と老いてからの二度木に近づく」の言葉。ふるさとや木を「魂の休まるところ」と理解すると、母の心情がよく理解できた。
以降「体調、体力を見て実家へ母を連れて行こう」が我が家の合言葉になった。親子の日なら最高、母の日、誕生日など、記念の日の実行可能性を探る日々を送っている。
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