父は出勤時に登校中の児童にむかっておどけてみせる。それが子ども達のツボにはまるらしく、みんな笑い転げるのだ。同級生から「おまえのおっちゃん、ほんま調子乗りやなあ」と言われるたび恥ずかしかった。しかし辞められることはなく、休日は私の知らない所で近所の男の子と遊びまわっていた。
ある日角道を曲がると「ぐわあぁぁ」と叫びながら倒れる父と目が合った。父の目からは切羽詰った様子が伺え、私はうろたえた。しかしふと前を見ると戦隊もののおもちゃを手にした少年たちがいる。私は状況を察知し、差し出そうとした手を戻した。父は戦隊ごっこの悪役をしていたのだ。父の切羽詰った様子は、いるはずのない娘と目が合ったこと、しかしクライマックスの悪役が倒れるシーンを全うしなければいけないという責任感の挟間から生まれたようだ。父は私が大人になっても喜々として近所の子どもと遊んでいた。私は父の行動を諦めていたが、やめて欲しい気持ちはおさまらなかった。
そんな父が癌の告知を受けた。本人は手術を拒んだが、幸い転移もなかったので癌を摘出すれば短期間で治療可能、再発も無いとのことだった。家族全員で摘出を勧め、父は文字通り泣く泣く承諾した。陽気な父が泣くのを見たのは初めてだった。
手術の日、私は施術後に立ち会えた。運ばれてきた父は薄く麻酔が効き、目は半開き。ドラマで見るような薄いブルーの布が胸までかかっていた。その父の前で主治医から成功した旨と今後のことが伝えられた。ふと父に目をやると、信じられない光景があった。麻酔で眠っているはずの父の手がいつの間にか布から出て、ピースサインになっていたのだ。その場は笑いに包まれた。父はいつでもどこでも「調子乗りのおっちゃん」だった。意識がほぼ無かろうが、家族に大丈夫だと伝えようとして動いた手。その温かさに笑っていた目から涙がこぼれた。
今はまた「調子乗りのおっちゃん」と化しているが、私はもう辞めてとは言わない。父がなぜおどけてみせるか分かったから。