人は私をきわめつきのナルシストだという。それはそうかもしれないけれど、ほんとの私は並以下の部品で出来上がっている並以下の女だということを誰よりもいちばんよく知っているつもりである。
ここに砂川しげひさなる男ありて、ここ数年間というもの「シンコ好キシンコ好キ」と美しい声で啼いてくだすった。
砂川さんはご存知漫画家であり、クラシックの大愛好家であり、何を書いてもオカネになる人である。つまりプロなのだ。
プロは読ませる文を書く。
砂川さんの「シンコ好キ」も彼独特のジョークである、と、私は信じて疑わなかった。
私は漫画も画けないし、ジョークも下手なものだから、一度として「シゲヒサ大好キ」とは啼かなかった(啼けば自分が本気になる)。
ナルシストのくせに「思いあがり」の出来ない私は、砂川しげひさなる男があの手この手でおいしいジョークを食べさせてくれるのに、ただとまどっていただけである。
「ああ、どうしよう。取りかえしのつかないことをしてしまった」
と私が髪をかきむしったのは、実は『百味』誌1987年9月号の10ページをひらいたそのときである。なぜかなみだが頬をつたった。
思い当たること積雲のごとし。
彼は私のためなら十一階のビルから今すぐ飛び降りてみせると言ってくれたわ。
彼は私が車の免許を取ったらいちばんに助手席に乗ると言ってくれたわ、笑いもせずに。
彼は私の個展の書を財布をはたいて買うために千里もいとわず馳せ参じてくれた。
彼は人にきらわれるのを承知でシンコ大売り出しのチンドン屋までやってくれたのだ。
私が亭主に死に別れて一人になったとき、お悔みの声がうわずっていた彼。
ダダダダーン。
人は私を指さして「泣き虫」と呼ぶ。
泣き虫の窓に春が二度めぐって来たある日のこと、私の窓をピンクの風がたゆたい流れた。桜の花びらが突風の帯となって渡っていったのである。
何気なく。
ほんとにふわりと私はその帯に乗ってしまった。
「砂川さあ〜ん」
こわくて思わず叫んだけれど、砂川さんは売れッ子ゆえに、ふり向いてもくれなかったのだ。
私は泣き虫だから家の中が好き。家の中で鬼のふんどしを洗っているのが好き。
「ねえ砂川さん」
ある日東京へ電話をかけて尋ねてみた。
「あなたフンドシしてますか?」
「ぼく? ぼくはブリーフ」
「猿股でもいいのですが……」
とんちんかんな電話の中に砂川さんのたたくワープロの音が入って来た。
その音が「イソガシイソガシ」と聴こえて来て、ちょっぴりさみしかった。
賢弟に相談もなく愚姉はケッコンした。
もしもあの、ワープロの音を押しのけて「実は」と相談していたら、弟はブリーフを脱ぎ捨ててフンドシを締めてくれただろうか。
披露宴のスピーチで、誰よりも私を喜ばせてくれた砂川さんに「ありがとう、うれしかったわ」と耳打ちしたのはほんとうだが、もう一つのささやきを彼はかくしている。
私はしっかりと彼の耳たぶへ吹き込んだのである。ナルシスト新子の一句、
「妻をころしてゆらりゆらりと訪ね来よ」
「うーん」
と、砂川さんは酢を飲んだような横顔を見せられた。
ことしもあとすこしになった。
人生って、とにかくさびしい。それゆえに味があるのかもしれないけれど……。
人生って、とにかくさびしい。それゆえに味があるのかもしれないけれど……。