八月いっぱいNTTさんとケンカして(いや、ケンカをしたわけではないが、私も相手も物わかりがよくなくて)ほとほと疲れてしまった。
こんど学園都市(神戸)へ移るについて、当然私は自分の持っている「ルスバン電話」を持って行きたかった。わずか一年ほど前に六万円も出して買ったのだもの。
新しい学園の家には壁に電話が取り付けてあった。玄関の錠もかけるし、「只今ルスです」とか「誰か来てください」とか、声まで放つ便利でうす気味わるい電話機である。
しかし、録音はしてくれないので私はやはり「ルスバン電話(録音再生付)」を持って行きたかった。
その電話の持主は時実新子である。
これがNTTさんに引っかかった。本名でない電話を移動させる場合は「不在証明」を取ってくれとおっしゃるのである。
すったもんだのあげく、根負けして出掛けた西区役所では「そんなモン、出したためしがない」とて、またすったもんだ。
やっともらった証明書には無登録戸籍者とか不在籍者とか書いてあって、要するに私はこの世に存在せず、日本人としても認めるわけにいかないということらしかった。
住民票や印カン証明やハンコやいろいろ持って名谷《みようだに》のNTTさんへ出掛けた。
すると、男の人、女の人また男の人と、机の前は次々と入れ替わり、さいごの男の人が「あのう、申しわけないですが、これも電電以来のキソクでして、そのう、体質がまだそのままでして……」と歯切れ悪く言うのである。
「まだ何かするのですか」
「ハイ、念書を書いてハンコを押して頂いて……」
「念書!?」
私はこの齢まで賞罰なしで生きて来た平凡人間である。何をもってここで罪人にならねばならぬのか。
いや、NTTさんもおっしゃる通り、これは形式に過ぎぬかもしれぬ。しかし、「念書を書く」ということはどこか悪人悔い改めて──の感がある。
「私、〇〇〇〇〇は時実新子と同一人物であり……」
書きながら目に汗の思いであった。
その間、NTTさんは代る代るアタマを下げてくだすったが、ぺこぺこなんかして要らんわい。
もっとスムースに「あいよ! あんたの電話あんたが使う、ヨロシイよ」といかないものでしょうか。
要領の悪い巡査が電話口