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科学を殺す_三体_日语阅读_日语学习网

时间: 2024-10-24    作者: destoon    进入日语论坛
核心提示:科学を殺す 丁儀が住んでいるのは、新築マンションのだった。ドアを開けたとたん、汪淼は強烈な酒のにおいに迎えられた。つけっ
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科学を殺す
 丁儀が住んでいるのは、新築マンションのだった。ドアを開けたとたん、汪淼は強烈な酒のにおいに迎えられた。つけっぱなしのテレビの前で、丁儀がソファに寝転び、天井をじっと見上げている。広いリビングを見渡すと、内装はいたってシンプルで、家具も装飾もなく、がらんとしていた。ゆいいつ目を引くのは、リビングの片隅にあるポケット?ビリヤード台だ。
 招かれたわけでもなく勝手に押しかけてきた汪淼に対して、丁儀はべつだん嫌がるようすも見せなかった。彼のほうも、だれかと話をしたかったらしい。
「ここは三カ月前に買ったんです。なんのために買ったんだろうな。彼女が家庭に入るはずなんかないのに」酔っぱらった丁儀が、笑いながら首を振る。
「きみたちは……」汪淼は楊冬の生活のすべてを知りたかったが、なんと訊いていいのかわからなかった。
「楊冬は輝く星のように、遠くからぼくを照らしていた。その光はいつも冷たかったけれど……」丁儀は窓際に歩み寄り、夜空を眺めた。その姿は、過ぎ去った星を探しているかのようだった。
 汪淼も黙り込んだ。いま聞きたいのは、楊冬の声だった。一年前のあの夕暮れ、彼女と目が合ったとき、ひとことも言葉を交わすことはなかったし、その後も結局、彼女の声を一度も聞くことはなかったが。
 丁儀はまるでなにかを追い払うように手を振った。
「汪教授、あなたは正しかった。軍や警察と関わってもろくなことはない。あいつらは、なんでもわかってると勘違いしてるただの莫迦だ。物理学者の自殺と〈科学フロンティア〉とは関係ない。そう説明したのに、わかってもらえなかった」「彼らもいくらか調査したようだね」
「ええ。それも、海外まで範囲を広げて。だから彼らも、自殺者のうちのふたりは、〈科学フロンティア〉となんの関係もないことはわかっているはずです。楊冬のことも含めて」丁儀はその名を口にするのもやっとのようだった。
「丁儀くん、知ってのとおり、わたしはもう、この件に関わっている。だから、楊冬がなぜ……なぜこんな道を選んだのか、その理由が知りたいんだ。きみは……なにか知っているんだろう」汪淼はたずねた。ほんとうに関心のあることを隠そうとして、われながら歯切れの悪い質問になってしまう。
「それを知ったら、もっと深く関わることになる。いまはまだ、うわべだけです。知ったら最後、心の奥まで呑み込まれてしまう。深刻な事態になりますよ」「わたしは応用研究が専門だから、きみたち理論物理学者ほどセンシティブじゃないよ」「いいでしょう。ところで、ビリヤードはやりますか」丁儀はビリヤード台に歩み寄った。
「学生時代は気晴らしに何度か遊んだ」
「ぼくも彼女もビリヤードが大好きでね。加速器の中で衝突する粒子を想像させてくれるからかな」丁儀はそう言いながら、黒と白のふたつの球をとり、黒球はポケットのすぐ横に、白球は黒球からほんの十センチくらいのところに置いた。「黒球を入れられますか」「こんなに近けりゃ、だれだって入る」
「試してみてください」
 汪淼はキューをとって白球を軽く撞つき、黒球をポケットに落とした。
「いいでしょう。今度は、台の場所を変えます」丁儀は戸惑う汪淼に声をかけ、ふたりで重いビリヤード台を持ち上げると、リビングの隅の窓ぎわへと運んだ。ポケットからさっきの黒球をとりだすと、またポケットの近くに置き、白球もまた、黒球から十センチほどのところに置いた。
「今度は入れられますか」
「もちろん」
「やってみてください」
 汪淼はまた簡単に黒球をポケットに落とした。
「もう一度、場所を変えます」丁儀が手を振って促し、またふたりで台を持ち上げて、リビングの三つ目の角まで運んだ。丁儀は今度もまた、黒球と白球を前と同じ位置に置いた。
「撞いてください」
「これはいったい……」
「撞いてください」
 汪淼は肩をすくめ、三回目も黒球をポケットに落とした。
 ふたりはそれからさらに二度、台を移動させた。一度は玄関ドアに近いリビングの角へ、最後はもとの位置へ。そして丁儀は、二度とも黒球と白球を同じ位置に置き、汪淼は二度とも黒球をポケットに落とした。ふたりとも、じんわり汗をかいていた。
「いいでしょう。実験は終了しました。結果を分析してみましょうか」丁儀は煙草に火を点けながら言う。「ぼくらは合計五回、試行しました。そのうちの四回は、異なる空間位置、かつ異なる時間位置で。そのうちの二回は、空間位置は同じだけれど、時間位置が異なりました。ショッキングな実験結果じゃないですか」彼は大げさに両手を広げてみせた。「五回とも、衝突実験の結果はまったく同じだった」「なにを言いたいんだ」汪淼は息を整えながらたずねた。
「まず、この驚くべき結果を説明してください。物理学の用語を使って」「つまり……五回の実験では、ふたつの球の質量は変化していない。置かれた位置も、ビリヤード台を基準座標系とした場合、もちろん変化していない。白球が黒球に衝突する速度ベクトルも基本的に変わりない。したがって、ふたつの球のあいだで交換される運動量にも変化はない。ゆえに、五回の実験すべてにおいて、黒球は同じようにポケットに落ちる」
 丁儀はソファのかたわらの床に置いてあったブランデーの瓶をとって、洗っていないふたつのグラスになみなみと注いだ。そのうちの片方をこちらにさしだしたが、汪淼は断った。
「さあ、祝いましょう。われわれは自然界の原理を発見したんですよ。すなわち、時と場所が変わっても、物理法則は変わらない。物理法則は、時間と空間を超えて不変なんです。アルキメデスの原理からひも理論に至るまで、人類史上すべての物理法則、人類がこれまでになしたあらゆる科学的発見と思想的成果のすべてが、この偉大な原理の副産物です。われわれに比べれば、アインシュタインやホーキングなど、たんなる応用科学を研究する凡人に過ぎない」
「きみがなにを言いたいのか、まだよく呑み込めないんだが」「違う実験結果を想像してみてください。一回目は白球が黒球をポケットに落とした。二回目は黒球が脇にそれた。三回目は黒球が天井まで飛び上がった。四回目は、黒球がびっくりしたスズメみたいに部屋の中を飛びまわり、最後にあなたの服のポケットに入った。
五回目は、アシモフのあの小説 短篇「反重力ビリヤード」 みたいに亜光速ですっ飛んで、ビリヤード台のへりをぶち破り、壁を突き抜け、地球の引力圏を脱出し、ついには太陽系から出てしまった。もしそんなことが起こったら、どう思います」 丁儀は汪淼を見つめた。長い沈黙のあと、汪淼が言った。
「それが現実に起こったんだね。そうだろう」
 丁儀は両手に持ったふたつのグラスの酒を一気に飲み干した。まるで悪魔でも見るかのようにビリヤード台をじっとにらみつけ、
「ええ、そのとおり。ここ数年で、基礎理論を実験でたしかめるために必要な設備が、とうとう完成しました。高価なビリヤード台が三台、建設されたんです。一台は北米、一台はヨーロッパ、もう一台は、言うまでもなく中国の良湘です。あなたがたのナノテクノロジー研究センターは、そこからずいぶんな金額を稼ぎましたよね。
 これらの高エネルギー粒子加速器は、粒子を衝突させるためのエネルギーの大きさを、従来よりひと桁ひきあげました。人類がいまだかつて到達したことがないレベルです。この新しい設備で実験したところ、同一の粒子、同一の衝突エネルギー、同一のパラメーターだったにもかかわらず、違う結果が出たんです。異なる加速器のあいだで実験結果が異なるというだけではなく、同じ加速器で、べつの時刻に実験しても、やはり異なる結果になる。物理学者たちはパニックを起こし、同じ条件で超高エネルギー衝突実験を何度も何度もくりかえしましたが、結果は毎回違っていて、これといった法則性も見つからなかった」
「それはなにを意味する」汪淼はたずねた。丁儀がこちらを見つめたままなにも言わないので、さらにつけ加えた。「ああ、わたしはナノテクノロジーが専門だから、物質のミクロ構造には通じている。それでも、きみたちが扱っている粒子に比べたら、何桁も大きなものを相手にしてるんだ。だから、教えてくれ」
「物理法則は時間と空間を超えて不変ではないということを意味しています」「で、それはなにを意味する」
「それはご自身で演えん繹えきできるはずです。常少将でさえ、そこにたどりついたんですから。ボスはほんとうに頭がいい」
 汪淼は窓の外を眺めながら考えにふけった。都市の夜景がまばゆく光り、夜空の星々もそれに埋もれている。
「それは、宇宙のどの場所においても適用できる物理法則が存在しないことを意味する。
ということはつまり……物理学は存在しない」汪淼は窓の外から視線を戻して言った。
「『この行動が無責任なのはわかっています。でも、ほかにどうしようもなかった』。これは彼女の遺書の後半部分です。いまあなたが無意識に口にしたのは、遺書の前半部分です。『物理学は存在しない』。いまなら彼女のことが多少なりとも理解できるんじゃないですか」
 汪淼はビリヤード台から白い手玉をとると、そっと撫でてから、また台に置いた。「物理学の最先端を探求している人間にとっては、たしかに災厄だな」「理論物理の分野で業績をあげるには、ほとんど宗教的と言ってもいいような信念が必要になる。そこからたやすく深みにはまるんです」
 別れぎわ、丁儀は汪淼に、ある住所を伝えた。
「楊冬の母親はここにいます。もし時間があるようなら、会いにいってみてください。楊冬はずっと母親と一緒に暮らしていました。楊冬の母親にとっては、娘が生活のすべてでしたが、いまはひとりぼっちになってしまいました。気の毒で」「丁儀、きみは明らかに、わたしよりずいぶん多くを知っている。もう少しだけ教えてくれないか 物理法則は時間と空間を超えて不変ではないと、ほんとうに思っているのか」「ぼくはなにも知りませんよ。ただ、想像もつかない力が科学を殺そうとしているような気がします」
「科学を殺す だれが」
 丁儀は汪淼の目を長いあいだじっと見つめ、それからようやく言った。「それが問題
だ」
 彼はあのイギリス軍大佐が引用したシェイクスピアの言葉を引いただけだと、汪淼は気がついた。生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。
 
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