29 地球三体アース‐トライソラリス運動
こんなにも多くの人々が人類文明に絶望し、みずからの属する種に憎しみと叛はん意いを抱き、自分とその子孫を含む人類すべてを滅亡させることを最高の理想とさえしている──この事実は、地球三体運動の持つもっともショッキングな面である。
地球三体協会は、精神的貴族の組織とも言われている。メンバーの多くは高い知識階級に属し、政済界のエリートも相当数含まれているからだ。三体協会は一般庶民の会員を増やそうとしてきたが、そうした試みはことごとく失敗に終わっていた。一般庶民は、人類の暗黒面を、知識階級ほど深くは認識していなかった。もっと大きな理由としては、彼らの考えは現代科学と哲学にほとんど影響されていないため、みずからの属する種に対し、ゆるぎない本能的な共感を持っている。ゆえに、人類すべてを裏切るなど、彼らにはとても考えられないことだった。
しかし、知的エリートたちの場合は事情が違う。彼らの多くは、すでに人類以外の視点からの問題を考えはじめていた。ついに人類文明の中から、強い疎外の力が発生したのである。
は目覚ましい速度でメンバーを増やしたが、その人数以上に大きな力を持っていた。なぜなら、会員の大多数が社会の高い階層に属し、それぞれが大きな権力と影響力を有していたからだ。
地球三体協会の総帥という地位は、たんに精神的な意味でのリーダーを意味していて、文潔ウェンジエは協会の具体的な運営には参画しなかった。のちに膨大な数にまで膨れ上がったについて、どのように拡大してきたのかはおろか、会員の具体的な人数さえ、文潔は把握していなかった。
会員数を迅速に増やすため、地球三体協会は半ば公然と活動してきたが、各国政府はしばらくのあいだ、協会に大きな注意を払ってはいなかった。各国政府の保守的な態度と想像力の欠如が、自分たちにとってバリアになることを協会はよく知っていた。国家権力を束ねる組織の人間は、だれもの宣言を真剣に受けとらず、たわごとを撒き散らすカルト集団のひとつと見なしていた。また、メンバーの社会的地位の高さから、各国政府はこの組織に対し、腫れものに触るように慎重に接していた。が武力を拡充しはじめてから、ようやくいくつかの国家の安全保障機関が関心を寄せるようになり、この組織がふつうではないことに気づきはじめた。したがって、彼らがに対して実質的な攻撃を試みるようになったのは、わずかここ二年間のことにすぎない。
地球三体協会はけっして一枚岩ではない。その内部には複雑な派閥構造と意見の相違があり、主に次の二派に分かれる。
降臨派は、のもっとも純粋かつ原理主義的な派閥であり、主に、エヴァンズの唱える〝種の共産主義?の信奉者によって構成される。その理想はシンプルで単純だ。すなわち、人類文明を滅ぼすことである。彼らは人類の本性に徹底的に絶望している。この絶望は、現代文明がもたらした種の大絶滅に端を発している。エヴァンズのケースが代表だ。その後、降臨派にはさまざまな分派が現れ、環境汚染や戦争などの問題にかぎらず、人類文明の多様な面に憎しみを向けている。中には、きわめて抽象的かつ哲学的なレベルで憎悪を募らせる者もいる。後世の人々の想像とは異なり、彼らの大部分は現実主義者で、自分たちが奉じる異星文明に対してさえ、それほど大きな理想や希望を抱いているわけではなかった。彼らの叛意は、人類に対する絶望と恨みに根ざすものであり、マイク?エヴァンズの以下の言葉が降臨派のモットーとなっている。
「われわれは、異星の文明がどのようなものか知らない。だが、人類のことは知っている」
救済派は、が誕生したあと、相当の時間が経過してから勃興した派閥である。その本質は一種の宗教団体であり、三体教の信者で構成されている。
地球外文明には、高度な知識階級の人間を強く惹きつける力があり、彼らはそうした異星文明に対し、美しい幻想をたやすく抱くことになった。人類のような若い種属にとって、より高度な異種文明に対する興味は、ほとんど拒絶しがたい。たとえばこんなふうに考えてみよう。人類文明は宇宙の砂漠をずっと孤独に歩みつづけてきた世間知らずの若者であり、彼彼女はいまはじめて、異性の存在を知った。その面影も姿かたちもまだ見たことはないが、はるか遠くにその相手がいるということはわかっている。その彼女彼に対して抱く美しい幻想は、野火のように激しく燃え広がっていく……。
遠い文明に対する幻想が募るにつれて、救済派は三体文明に対してスピリチュアルな感情を育むこととなった。ケンタウルス座アルファ星系アルファ?ケンタウリは宇宙におけるァ£ンポス山、すなわち神々の住まう場所と見なされる。このようにして誕生した三体教は、人類のその他の宗教とは異なり、崇拝の対象が実在している。ほかの宗教と反対に、危難に瀕しているのは主であり、主を救済する責任を信徒たちが担う。
社会に三体文化を広める主摇‰ートは、ゲーム『三体』である。この巨大なソフトウェアは、が莫大な資金をつぎこんで開発したもので、当初の目的はふたつあった。ひとつは三体教を布教すること。もうひとつは、それまで知識階級に限定されていたメンバーの階層をもっと広げるべく、社会の中下層にいる若者をリクルートすることだった。
ゲームシナリオは、地球人類の社会と歴史から抽出した要素を下敷きに使いながら、三体世界の歴史と文化を重ねて解説する内容になっていて、初心者にも入りやすくしてある。プレイヤーが一定のレベルに達し、三体文明の魅力に惹かれはじめると、三体協会が直接連絡をとる。プレイヤーの思想傾向をテストし、最終的な合格者を地球三体協会のメンバーとして迎え入れるのである。
だが実際には、ゲーム『三体』は、社会的に大きな注目を浴びるほどのブームにはならなかった。このゲームをプレイするには相当なレベルの背景知識と、深い思考力が必要だったからだ。若いプレイヤーのほとんどは、一見ふつうのゲームに見える表層の下にあるショッキングな真実を発見するほどの忍耐力も技術も持ち合わせていなかった。『三体』に惹かれたプレイヤーの大部分は、やはり知識階級だった。
救済派となったメンバーの大部分は、ゲーム『三体』を通じて三体文明を知り、最終的に地球三体協会に加わった。ゲーム『三体』は、救済派のゆりかごであると言ってもいいだろう。
救済派は三体文明に対し宗教的な感情を抱いているが、違いはそれだけではなく、人類文明に対する態度も、降臨派ほど極端ではなかった。救済派の最終的な理想は主の救済であり、主を生かすためなら、人類世界が一定の犠牲を払うのは当然だと考えている。しかし、主が太陽系を侵略せずに、このまま三体世界で生きつづける道が見つかるとしたら、それが理想的な解決だというのが、救済派の大部分の考えだった。三体運動の問題を物理学的に解決することで、この理想を実現することができ、三体と地球、ふたつの世界を同時に救えるのだと、無邪気に信じている。
とはいえ、この考えが無邪気で莫迦げたものと一概にかたづけることもできない。三体文明自体、はるか昔から、その道を模索してきた。三体問題を解こうとする努力は、勃興と滅亡のサイクルを二百回以上も経てきた三体文明を貫く一本の縦軸になっている。救済派のうち、物理学や数学に造詣の深い者は、だれもが三体問題の解決を試みてきた。三体問題に数学的な解が存在しないとわかってからも、その努力はやむことがなかった。三体問題を解くことが、三体教の一種の宗教儀式となっていたからである。救済派には第一線で活躍する世界的な物理学者や数学者が何人もいたが、彼らの研究は大きな成果をあげることがなかった。かえって、や三体教となんの関係もない魏成ウェイ?チョンのような天才が、いつのまにかこの派閥の大きな期待を集める存在になっていった。
降臨派と救済派は、長らく激しい対立関係にある。降臨派は、救済派が地球三体運動の重大な脅威になるだろうと考えていた。この考えには根拠がないわけでもなく、救済派のうち強い責任感を持つ人々を通じて、各国政府は少しずつ反乱分子の恐るべき背景を知ることになったのである。協会内でのふたつの派閥の力は同等であり、双方の武装部隊はすでに内戦をはじめるところまで来ていた。文潔はみずからの威信を利用して協会のこの亀裂を埋めようとしてきたが、さしたる効果はなかった。
三体運動が発展するにつれて、地球三体協会には第三の派閥が生まれた。それが生存派である。太陽系に迫る異星からの侵略艦隊の存在が確認されて以降、この最終戦争で生き残ることがもっとも自然で人間的な願望となった。もちろん、戦争は四百五十年後のことで、自分の人生とは関係ないが、人類が敗北したとしても、せめて自分たちの子孫だけでも、四世紀半後の世界で生き延びられることを願う人々は多い。三体世界からの侵略者に奉仕することは、この目標の実現にとって明らかに有利だった。ほかのふたつの主流派と比べ、生存派は社会的な階級の低いメンバーで構成され、東洋人とりわけ中国人が高い比率を占めている。現時点での人数こそまだ少ないが、メンバーは急速に増加しており、三体文化が普及しているであろう未来において、無視できない派閥となることが予想されている。
人類文明そのものの欠陥がもたらした疎外の力、より高度な文明への憧れと崇拝、最終戦争後も子孫たちを生存させようとする強烈な本能的欲望、この三つの強大な力によって地球三体運動は急速に成長し、それが注目されたときにはすでに、燎りょう原げんの火のごとき勢いを持っていた。
このとき、異星文明はまだ四光年の遠い宇宙の彼方にあり、人類世界とは、四世紀半の長い航海によって隔てられていた。これまでに彼らが地球に送ってきたのは、電波のメッセージだけだった。
かくして、ビル?マザーズの〝象徴としてのコンタクト?理論が正しかったことが、おそろしいほど完璧に証明されたのである。